映画を語ろう。
愛を語ろう。
トゥー・リブ・アゲイン

JUGEMテーマ:洋画

 

母の手によって、16年間監禁されていた娘カレンと

事故で自分の娘を失ったソーシャルワーカー・アイリス

関わりあっていく中でお互いに人生を取り戻すためのお話。

 

被害者カレンを母親が

親ゆえに

行き過ぎた管理をするところから悲劇が始まったのかもしれない。

 

監禁されていたカレンと交わる中で

アイリスは、過去に何が起こったか知っていく。

 

母親は、姉の精神障害があったことで、過敏になってしまった。

厳格に保守的に

世間に向かって、迷惑をかけられない。

と思う考えが、加速しての監禁だが

母子家庭ゆえに一定の感情を超えていったのだろう。

彼女にとっても強迫観念があるのだ。

 

誰か周りに相談する人がいたら、

誰かの支えがあったのなら、

この悲劇は生まれなかったのではないか。

 

実話らしい。

しかし、多かれ少なかれ、

親子の関係の中で、支配しすぎる親に苦しむ子どもたちがいるのだ。

 

この母親の存在は、盲目だ。

 

一方、アイリスも

娘を亡くし、まだ立ち直れないでいる。

 

誰のせいで娘が亡くなったのか。

彼女は自分を責め続けているのかもしれない。

アイリスの娘は、飲酒運転をしていて亡くなった。

もしも、あの時、止めることが出来たなら。

 

精神病は、

精神病としての治療を行うことが必要であるが、

その手前で、ずいぶん、もしかして

私たちは、面倒だという愛を欠いた接し方で、

誰かを病人にしてしまう過ちを犯しているのではないかな

 

こんなハッピーエンドの実話があるなんて、何か救われたようだ。

 

精神病院での一生で終わるか、それとも1人で生活できるか

その審問会で、

 

カレンが1人で生きる決意を述べるとき

 

「アイリスのように人の優しく、動物に優しく

知らない人に優しい人になりたい」と話す。

 

優しさは、やはり愛からしか生まれない。

そして、愛がなければ人は救えない。

 

 

 

 

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ハッピーエンドが書けるまで〜Stuck in Love

JUGEMテーマ:洋画 

父親と母親、娘サマンサ、息子ラスティ

それぞれに求めているものは愛なのに、どうしていいのかわからない。

もがきながらも前へ進んでいく物語。

 

小説家の父親は、離婚した妻に未練があり、彼女の家に不法侵入する始末。

 

娘のサマンサは、ロマンティストかリアリスト

人には二種類あると、ラスティに説教をするくらい、

親の離婚に痛手を受けている。

amazonプライム映画字幕によると、

〜リアリストは、意中の人をいい女の一人としてみる

ロマンティストは、その人が神が選んだ1人だと信じる

でも神はいないし、

人生の意義も思い込みにすぎない

愛を避けなさい。私のモットーよ〜

 

もう、信じて傷つきたくないのだ。殻を作って自分を守る。

 

息子ラスティは、臆病で、ポエムにしたためるが関の山

好きな子に行動としての一歩前に進むことが出来ない。

 

 

そして、物書きという職業の父親を持つサマンサ、ラスティも

同じく小説家の道を選んでいる。

だからこそ、この映画は、要所要所にそういった香りが立ちこめ

本好きの人なら、それも楽しめる。

 

劇中で紹介される本たち

スティーブンキングの 「IT」と「ザ・スタンド」 

サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」

ベバリイクリアリーの「ヘンショーさんへの手紙」

そして、レイモンドカーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」

 

私としては、レイモンドカーヴァーの本にぐっときた。

カーヴァーの本は、村上春樹氏が翻訳しているが、

彼は、この言い回しが好きだと、この題名を頂き

「走ることについて語るときに僕の語ること」という本を書いた。

そして、私は、春樹氏のこの本が大好きで、言い回しもお気に入り。

HPの日記をメルマガにしたものに「私の語ること」というタイトルをつけている。

 

カーヴァーのセンスが、父親のセンスとなっている。

それが、愛についての父親の感性。

Stuck in Love だからこその「愛」

 

愛が怖いサマンサは、言い寄るルイスを

コテンパンに傷つけるためにどんな本が好き?と質問をする。

そのルイス役は、映画「フューリー」で、洗礼名マシーンを与えられたノーマン

 

そこで、ルイスが本気で答えた本のタイトルは「ヘンショーさんへの手紙」

児童書のこれにサマンサは、心を揺さぶられる。

両親が離婚し、自分の胸の内をヘンショーさんという作家へ

手紙を書くことによって、成長していく物語である。

 

 

臆病なラスティが、クリスマスに愛するケイトに選んだ本は

スティーブンキングの「IT」

ラスティは、この本を世界で一番好きなのは自分だと言い切るくらいファンであり、

映画のラスト近くに

スティーブンキングと「スタンドバイミー」について語るシーンがある。

 

ハッピーエンドに向かって、

それぞれが歩む中で、未練がましく、別れた妻をどうして待っているのか。

そんな謎解きが、父親によって語られていくが

その言葉の感性によって、サマンサは癒され、

憎んだ母親と和解したい気持ちがぐっとこみ上げてくる。

 

 

言葉で語れないものと言葉で語れるもの。

その両方をこの映画には感じ取れる。

 

〜鼓動が聞こえた みんなの鼓動が

人が立てる雑音が聞こえた 誰一人動かない

部屋が暗くなっても〜

 

 

 

 

 

 

 

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アリスのままで〜Still Alice

JUGEMテーマ:洋画

 

若年性アルツハイマー認知症 

それも家族性アルツハイマー病に冒されたアリス

つまり、遺伝性であり、彼女は父親の遺伝子から

そして、彼女の子ども達にもそれは影響し、

検査の結果陽性者一名、陰性者一名

検査を受けぬもの一名。

 

それだけでも家族にとって受け入れがたい悲しみなのに

皮肉にもアリスは、言語学の教授であった。

言葉の専門家が言葉を失うと病気というのは、あまりにも切ない。

 

ジュリアンムーア演じるアリスが、

アルツハイマーの現状をスピーチするシーンがある。

そのスピーチを

この出来事を忘れたくないと最後に語る

その素晴らしいスピーチに感動する。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜

詩人エリザベスビッショプは、

「なくす技」を覚えるのは簡単

多くのものが失われるのは災いではないと書きました。

私は詩人ではなく 若年性アルツハイマー病です。

そして、日々「なくす技」を習得しています

 

方向感覚をなくし、物をなくし 眠りをなくし

そして、記憶をなくしています。

 

私の人生は、記憶に満ちています

記憶は私の最も大切な宝物になりました。

私が人生で蓄えた全てが

努力して得た全てが 剥ぎ取られていくのです。

 

地獄です

 

私が苦しんでいると思わないで。

闘っているのです。

世界の一部であろうとして、

かつてそうであった自分であろうとして

 

だから瞬間を生きています

瞬間を生きること

それが私の出来るすべて

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

アリスの言葉を一つも聞き漏らさないようにと私もメモを取る。

このスピーチが、この映画全てだと思う。

満ちている記憶?

夫とのギリシャ旅行。夫との思い出。

アリスの母と姉との思い出。

子ども達との思い出。 全ての記憶で満ちている宝物

そして、アリス自身にかえった時

言葉を駆使して生きてきた人間にとって、

これはまさに地獄なのだと思うと泣けてくる。

 

アリスがどんどん、アリスでなくなり

滑稽になるのとは対照的な高学歴の夫と長男長女。

最後に寄り添ったのは、自由に自分の道を探し続けていた次女だった。

優しさって、何?

 

ラストシーン

記憶が無くなった果てのアリスに次女リディアが演劇の物語を語り

うつろな目のアリスが、リディアの問いかけに答える。

「愛」「愛についてよ」 

 

記憶を失おうとアリスがアリスのままでなくなろうと

生きているアリス。

最後の最後まで残るのは、愛でしかなく、

リディアとアリスの関係に涙が止まらない。

 

 

 

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ローズの秘密の項〜The Secret Scripture

JUGEMテーマ:洋画

 

第二次世界大戦時、疎開先にやってきたローズ

ローズは、美しく誰もが彼女に惹き付けられた。

彼女の真直ぐな眼差しに、ゴーント神父さえも揺れ動く。

夫以外の男性の目をじっと見るな。

最初の出会いの中で、神父はローズに忠告する。

 

時は、40年過ぎ、

取り壊しの決まった聖マラキ病院。

その患者の中にローズがいた。

彼女は、自分の赤ちゃんを殺した罪を背負っていた。

しかし、ローズは否認し続け、

そして自身の名前を本名とは別のローズマクナリティと名乗った。

 

転院する患者たちの再診のために訪れた

精神科医スティーブグリーンは、ローズの無実の訴えを聞き

彼女の大切にしている聖書の存在を知る。

そこには、ローズの日記が綴られていた。

自分という存在が抹消されないように。とローズは書き記す。

 

過去と現在を行ったり来たりしながら、ローズの人生が語られる。

何故にローズクリアという名ではなく

ローズマクナリティと名乗ったのか。

そこには、たった一人の男性を愛し続けた生涯の愛がある。

その人の名は、マイケルマクナリティであり、

二人は、牧師の立会いの中で、結婚式を上げた。

その事実と彼の子を身ごもった事実。

 

40年後のローズ役のバネッサレッドグレイブの演技を

どうしても見たくて、この映画を鑑賞。

実に大柄な女性で、そして品性漂う緑色の目をしている。

回想シーンの当時のローズ役は、ルーニーマーラ〜キャロルの女優であり

前情報のない私にとっては、思いがけないもので、

同じく、緑色の目が美しかった。

 

美しさというものは、美しさゆえに罪を作るのか。

周りの嫉妬の中で、人生を狂わされていく罪なきローズ。

 

 

精神科医グリーンとローズのふれあいの中で、

少しずつ解き明かされる謎。

本当に彼女は、赤ちゃんを殺してないの?

 

看護師とグリーンの手を聖書に置き、ローズが信じて欲しい

と訴えたとき、

グリーンが看護師に尋ねた。

看護師は、「信じる」では、グリーンは?

 

「愛を込めてみたものだけが真実」

 

ローズのこの言葉が痛烈に突き刺さる。

私たちは、愛を込めて何を見る?何を語る?

 

色んなキーワードが出てくる中で、

神に仕えし神父も迷い悩み

こういったところは、信者にとっては見たくないものであるが、

権威と嫉妬とそして漂う愛

最後の結末に、間に合った罪の赦しを思う。

 

ローズのどこまでも愛し続けた純愛があり

クライマックスでは、ジグソーパズルが

みるみる出来上がるように

マイケルの勇敢な死が、尊厳を持って語られ

何故にグリーン医師が再診の医師になったのか理解でき

静かに涙が溢れてくる。

 

緑色の目は、嫉妬。

何故か、そんな事を思い出し、

その目に魅了され嫉妬に狂った人と人生を狂わされたローズ

最後にハッピーエンドであったのに救われました。

 

 

 

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チャンス〜Being There

JUGEMテーマ:洋画

 

チャンスという庭師が、この世の中で触れたもの。触れ合った人たち

それは、いったい何だったのだろう?

 

チャンスは、庭師として住み込みで働いていたが、

屋敷の主が亡くなり、家を出なければいけなくなった。

 

生まれてこの方、外界との接触のないチャンス。おまけに知的障害もありそうだ。

今まで、メイドのルイーズから、食事を与えられていたチャンスには、

食べることさえもどうやっていいのかわからない。

雑踏の中で、お腹が減っていると見知らぬ人に問いかければ、逃げられる始末

 

そして、お腹をすかして、彷徨っている間に高級車にぶつかってしまった。

乗っていた婦人イブに、家での治療を勧められ、向かったのは大邸宅。

 

そこには不治の病のベンジャミンがいた。

自己紹介で、チャンス・庭師と言ったつもりが

チャンシー・ガーディナーという名前に勘違いされ、

チャンスのチャンシー・ガーディナーとしての人生がここから始まった。

 

ベン、チャンシー イブ、三人の関係は、実に平和だ。

 

ベンやイブの問いかけに

余計なことは言わず、ただ自分が知っている事だけを話すチャンシー。

彼は、庭師であり、それだけなのだ。

文字も読めず、テレビのチャンネルを次から次へと

リモコンで変えていく。

 

話していてつじつまが合うの?

どうかしてない?と思うけれど、

チャンシーの言葉をベンもイブも好意的な解釈に変えていく。

 

その「間」というかゆっくりとした口調というか、

私にとっては、イライラする時もあった。

けれど、それが、私が失っているものなのかと自問自答する。

 

とうとう、ベンを通じて、知り合えた大統領にも

チャンシーの語る庭師の理論が、経済論への助言になってしまう。

また、

テレビが好きだからという言葉も

テレビ出演もOKだという風に解釈され、

副大統領の代わりに出た番組のインタビューで、国民の支持まで得てしまう。

いったい、チャンシーは何者!と

身の上調査も始まるが、CIAもFBIも誰もわからない。

 

皆異口同音に言うのは、

チャンシーといると、良い気分でいられるようになる。

つまり、その存在に心の平安を感じるようになるのだ。

ベンは、死ぬことさえも怖くなくなったという。

 

これってどういうことだろう?

気がつけば、映画はどんどん進んでいて、

あっという間に、終わりに近づく時間になっていた。

 

ベンもイブもチャンシーもお互いに愛していた。

平等に愛し合っていたように思う。

ラストシーン近くのベンが亡くなった時、

担当医ロバートに、チャンシーがイブのことを「愛してる」と言う場面があるが

 

あ〜生きること、人生の原点は、これさえあればいいのだと

チャンシーの言葉が心に染みた。

 

ラストシーンは、聖書を思わせる。

キリストが水の上を歩くと

弟子たちは、それが出来ない。信じきれてない心の対比。

同じように

水の上を歩くチャンシー。

そうか、愛を説いて去っていくのか。

そして、ベンのメッセージ

人生は、心の持ちよう という言葉と共に

 

辻仁成氏の好きな映画の一つだと知り、やっと見ることが出来ました。

なんだかな、なんだか。 言葉は要らない中で、見つけ出せるもの。

 

ピンクパンサーのクルーゾー警部役でおなじみのピーターセラーズ主演。

彼の遺作となった作品です。

言葉の伝え方、間の取り方、実に素晴らしいのではないでしょうか。

彼の奥さんは、リンフレデリックと言ってとても美しい人でした。

年齢差のある結婚でしたが、ゼンダ城の虜で共演されています。

 

イブ役のシャーリーマクレーンは、

愛と喝采の日々などとは、全く違って、可愛い女性らしさが出ています。

チャンシーに「見ることが好き」と言われ、

勝手に解釈して、そのような行為をするところも

チャーミングな彼女ゆえ楽しく見れました。

 

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ノルウエイの森

JUGEMテーマ:映画

 

ノルウエイの森について
ウィキによれば
村上春樹は、この話は
基本的にカジュアルティーズについての話なのだ。という。
そして、さらにその説明文の中で、
そのカジュアルティーズには、カッコ書きがついており
合う日本語訳がなかったようだ。

私は、春樹氏自身、英語と日本語の中で生き、
わざわざ、日本語にしなければいけないこともないだろうし
訳せない感覚の言葉があると思う。
受け手の私たちが、
そのまま、カジュアリティーズの
その感覚をつかむこと。
それが出来なければ
この作品を理解することも難しいのではないか?

 

本は読んでいない。
何ら先入観のない中で、映画を鑑賞する。

カジュアリティーズの生き様の中に
セックスは必要であるか?
ここまでこだわるか?

私は、YESなんだと思う。
偶然的な被害者、傷つき、そんな人生のなかで
存在を示すのは、そこではないのかな?

今の若者はわからないが、

当時の若者のどうしようもないエネルギーの行き先を思う。

松山けんいち演じる「僕」が
さらりという台詞がある。
何度も何度も。
感情をもたないような言い方が、
それ以上でもなく
それ未満でもなくちょうど中立の「容認」に感じて
つまり、一番の優しい響きに聞こえた。

傷ついたものにっとての心地よい響き。

あらすじは、こうだ。
直子とキズキという男性は、愛しあい、
僕はキズキの友達だったから、常にそばにいて、
けれど、キズキが自殺して、
その後、偶然、上京した僕と出会う直子。
その僕と直子の愛と
新たな女性緑と僕の愛。

 

直子と毎週会う様になって、

20歳の誕生日。二人してお祝いをする。

その時、自然に愛の行為になるが、

僕は、直子が初めてだと気づき驚く。

キズキと関係はなかったの?

直子は口をつぐんだまま、そして、その後直子との音信は途絶えた。

やっと直子からの便りがあり、

彼女がいる場所は、療養所だと知り、会いに行く。

直子が会いたいのは、わたなべ(僕)だったのだ。

 

療養所のある山の中を何度も何度も往復して、彼らは語る。

その語らいの中で、

直子は、愛したきさきと愛の行為が成立しなかったと嘆く。

どんなにがんばっても出来なかった。濡れなかった。

いつも手と口とでしか出来なかった。

一度も成立しなかったことは、どういうことか?何故?

いろんなこと話し合えた人なのに。

なのに、僕との愛の行為の時は、濡れていたし、出来た。
全てにおいて、
直子はそこで、何かしら傷ついた。
相手のキズキは、もうこの世にいない。

若ければ若いほど、この嘆きは痛烈なのだと思う。

 

この映画には、他にも三人カジュアリティーズの女性が出てくる

書店の娘であり同じ大学生の緑、

直子の面倒を見ているれいこ

そして、女性を性の対象としか見ない永沢という男性に愛を思うハツミ

 

ハツミは、永沢の海外赴任の中、他の男性と結婚し、二年後に自殺した。

たくさんの女性と関係していても、永沢という人が好きだったハツミ

愛するって何だろう?性って何だろう?

傷つきながらも生きていくしかない生き方は普通じゃないかもしれない。

でも、普通に結婚したことで、傷つきが耐えれなくなって死んだのだ。

 

最後、直子の自殺によって、僕の一つの区切りが出来た。

僕が泣いて泣きじゃくるシーンがあるが、

男が泣くということは、こういうことなのかと思った。

全てを吐き出すしかない。


全く違うが、
私は、夏目漱石の「こころ」を思い出した。
親友が愛していることを知りながらも
その彼女を奪った先生。

そして、親友は自殺する。一言も語らずに。
カジュアリティーズという表現は、そぐわないが、
若いときの傷つきやすさ。
そして、先生は、生きる中でずっとそれに苦しみ
最後に死を選んだ。

生と性〜それはわかれば若いほど、深く漲りの一致ではないかな。

映画を見終わり、ノルウエイの森というビートルズの音楽を聴いた。

日本語訳がついていたので、

映画をまた振り返った。この映画は、これでよかったんだと思う。

ミスキャストとか、本を読んでいたら思うかもしれないが、

先入観がなければ、これ何だと思う。

そして、本の世界にも浸りたくなった

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ギター弾きの恋〜Sweet and Lowdown 

JUGEMテーマ:洋画

 

ドキュメントタッチで、ある天才ギタリストのエピソードを語る面々。

そのオープニングの顔ぶれに、

ギタリストなど全く知らない私は、実話と思ったが、

最後にウッディアレンによって、

この映画の主人公は、存在せず作り話だと知らされた。

 

その架空の主人公〜エメット。

彼は、世界で癸欧世塙觚譴垢訶刑優タリスト。

彼には崇拝するギタリストがいた。

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そして、つまり、そのジャンゴは、フランスの実在のギタリストであるからややこしい。

どこからどこまで本当?

エピソードを語る面々によって、物語は進んでいく。

 

エメットは、ジャンゴに会った二回とも、感動のあまり失神した。

そして、エメットは、ジャンゴのレコードを聴いて涙する。

破天荒、へべれけ、遅刻魔、金遣いは荒い、わがまま

けれど、演奏したらピカ一さ!

そんなキャラクターを

誰かと思いきや、

ショーンペンが演じている。

 

久々に笑わせてもらった。

憎みきれないキャラクターを何でこうも表現できるのかな?

 

ある日、賭けに負けたエメットは、

口の聞けない小柄な女性ハッティと付き合うことになる。

 

そのやり取りが、どうにもこうにも面白い。

小さな頃、高熱を出して、口が聞けず、頭も少し弱いハッティ。

エメットは、自分の泊まっているホテルに連れて行く。

一曲きかせてやるからさ〜〜〜♪

体に手を回し、頭の弱いハッティを手玉に取ったつもりが、

反対にハッティのほうが、

エメットに積極的に迫り、洋服を脱がせようとする。

 

ちょっと!ちょっと!待ってくれ!

普通嫌がるんじゃないの?

 

あたふたするエメットとの「事の終わり」に、

ハッティが、約束のギターを催促すると、

憎みきれない優しいエメットは、ギターを奏でてくれた。

 

そうだな。。約束だったな。

 

その音を聞き入るハッティの表情がとても素敵。

 

それから二人は、一緒に暮らすことになるのだけど、

自由が好きだから、結婚はしないからね。

それが天才ギタリストなんだよ。と

洗濯屋で働くハッティには、

辞めずに働きなと責任は取らない偉そうなエメット。

 

 

それでもハッティは、彼のために掃除洗濯食事と身の回りのことをやってあげる。

どう見たって、こんなに良い子はいないと思えるほど

ハッティは可愛い。

特にいつも食べている姿がなんとも言えず愛くるしい。

 

その後、エメットは、ハッティを残し家を出て行き

上流社会の女性ブランチと突然結婚する。

上手くいくわけがない結婚。

 

ただ、ブランチが言った言葉は、最後に響いてくる。

ジャンゴとエメットの違い。

そこには、感情をさらけ出したものがあるかどうか。ジャンゴのそれには確かにあり

エメットは、感情を演奏に出すことが出来ていないのだ。

 

ブランチの不倫もあって、

また、ハッティのところに帰ったエメット。

いつもの洗濯屋に行き、

二人で、座ったベンチで、

偉そうにエメットは言い放つ。

「良かったら一緒に来ないか?」

 

口の聞けないハッティの表情がいつもと違う。

ハッティは、結婚していた。そして女の子も生んでいた。

 

エメットにとっては予想外。想定外。

いつまででも待っていると思っていたハッティは、もう誰かのもの。

 

「take it easy!」

日本語の字幕は、「あばよ!」

 

 

そして、その後、ハッティを完全に失ったことが

どんなに大切なものを失ったことかと気づいた時。

時はすでに遅し!だけれど、

大切にしていたギターを壊し、エメットは泣き崩れた。

 

私もバカで、エメットと一緒。

ハッティは、ずっと待ってくれてるとハッピーエンドしか予想しなかった。

 

けれど、ウッディアレンは、映画「道」を再現してた。

あの映画「道」のラストの悲しみを思えば、

ウッディアレンは、救いを残してくれたように思う。

 

エメットは、その後ブランチの言ったとおり、感情をギターにこめることが出来たのです。

素敵なレコードアルバムが残ったと

オープニングの面々は最後に語ってくれました。

 

全編に渡って、ハッティの演技の愛らしさに脱帽。

可愛くってしょうがないです。

だからこそ、二人のジエンドは、余計辛らかった。

 

 

 

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リリーのすべて〜The Danish girl

JUGEMテーマ:洋画

世界で初めて性別適合手術をしたリリーエルベ〜アイナーヴェイナーのお話。

映画の冒頭、タイトルが出る。

The Danish Girl〜つまりデンマークの女の子

日本語タイトルは、「リリーのすべて」であり、

国柄の違い〜何かしらのニュアンスの違いを思った。

 

最初のシーンの自然の美しさ。

まるで絵画を見てるようなその風景。

それは、アイナーが育った場所〜

そして、アイナーは風景画家として、妻のゲルダは肖像画家として

お互いを尊重し合い、認め合い

何よりも愛し合っている。

 

口に出して、何もかも言わなくても

ささやかな言葉と仕草、その雰囲気で

彼らがどれだけ愛し合っているか。。

画面から充分伝わってくる。

 

ある日、ゲルダは、仕上げに間に合わなくなった

モデルのピンチヒッターとして、

アイナーに足の部分のモデルを頼む。

 

ストッキングを履き、洋服を合わせ、

女性らしさを表現しようと

鏡に向かうアイナー

 

まんざらでもないアイナーに

ゲルダは、

リリーという女性名を付け、女装させ

一緒にパーティーにいくことしにした。

 

二人して、洋服を選び、メイクもして、楽しい時間。

しかし、パーティーで、

リリーと男性とのキッスをみてショックを受け

これ以上のお遊びは、もうやめだとアイナーに告げる。

 

しかし、何かが崩れはじめ。。

いや、何かが生まれはじめた。

 

アイナーは、見つけた。

アイデンティティを、リリーの中に

本当の自分を見つけた。

 

アイナーにとって、女装が発端ではなく

小さなころから、アイナーの中に

リリーが存在していただけのこと。

それをまさに知った。

 

リリーでいることが、自分なのだ。

 

それからの二人の愛に泣けてくる。

ゲルダにとっての苦悩。

男と女。愛の行為だってしたいし、

男に抱き寄せられたい。

けれど、それはエロスという愛。

 

彼女は、リリーを愛する。

リリーとアイナーは、ゲルダの愛する人。

男として、女としてではなく

人間として、愛する。

 

愛には4つの愛があると習ったのは、

昔々、倫理社会で習ったかな?

アガペーという究極の愛だと私は思う。

ゲルダはリリーを愛する。

 

だからこそ、最後に

リリーが求める女性としての体の手術にも

誰よりも応援し、

誰よりも友人として寄り添った。

人間リリーの幸せを何よりも願う。

 

リリー役のエディ・レッドメインは、あまりにも美しかった。

一つ一つの仕草を

女性らしいそれを求めて、

美しい体を求めて

維持するために節制もする。

 

彼女がどれだけ美しい人になりたかったか。

芸術家ゆえの妥協出来ない「美」の世界がある。

完璧に美しくなのだ。

 

ゲルダ役のアリシアヴィキャンデルは、

「アンナカレーニナ」では、

田舎娘キティ役で

ちっともきれいに思えなかったが、

今回は、存在感ある強い女性を演じていて、

美しかった。

 

 

芸術家同士、まず、究極に美を求め、

そこに価値観があるからこその二人の愛の物語。

そして、デンマークの女の子の物語。

 

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バベットの晩餐会〜Babettes gaetebud

JUGEMテーマ:洋画 

昔、デンマーク、ユトランドの辺境の村に二人の姉妹が住んでいた。

二人はもう若くはなかった。

マーチーネとフィリバ

〜名前の由来は、宗教家ルターとその友メランヒトンにちなむ。

 

彼女らは、時間と僅かな収入のほとんどを

善行に費やしていた。

彼女らの父親である牧師は、

晩婚でずいぶん前に亡くなった。

 

弟子たちは、年々少なくなったが

姉妹のもとで

今でも聖書を読んだり、牧師の精神を称えたりしていた。

 

姉妹にはフランス人の召使がいた。

名前はバベット

 

ルター派の姉妹に召使とは妙な話であり、

こんな辺鄙なところに

そして、なぜ姉妹のところにバベットがいるかは、

心の奥深く

秘密の領域の問題だった。。と映画の字幕は続き、

マーチーネとフィリパの若い頃に

映画はズームしていく。

 

若い頃のマーチーネとフィリパは美しく、

思いを告げたい男性もあったが、

娘たちは牧師と共に信仰の道を生きていた。

 

マーチーネには謹慎中の若き士官ローレンス

フィリパには、パリの有名なオペラ歌手パパンが、共に求愛したが、

結局、ローレンスは、

ひとかどの人にならなければ

マーチーネと二度と会うまいと誓うほど、深く感じるものを見つけ

また、パパンは、フィリパに歌唱指導をして、

パリで一緒に

その天使の歌声をと思ったが、叶わなかった。

 

時は、35年も過ぎ

ある嵐の日、バベットと言う女性が、

一通の手紙を持って、姉妹の家を訪ねてくる。

 

その手紙を読むと、

パリのパパンからのものであった。

パリでの革命時、夫と息子を殺された、

バベット夫人を助けるために

デンマークの知人を考えたところ

姉妹を思い出さずにはいられなかった。

バベットは料理が得意であるという文面であった。

 

そして、パパンは、

35年間のフィリパへの思いもしたためていた。

 

オペラ座で歌声が聞けず残念だった。

名声とは何か?

結局、人は皆墓に入るのだ。

 

けれど、私の歌姫よ。

今、私は思う。墓場は最後ではないのだと

天国で、再びあなたの歌を聞こう。

 

あなたは、そこで、至高の芸術家となる。

それが神の定め

天使もうっとりするだろう。

昔の友からの心からの敬意をお受け取りください

 

 

清貧な生活の中でも

バベットの料理の才は、目に見えてわかり、

僅かばかりのお金でも豊かな食事が出来ていく。

 

それからまた14年過ぎ、

村人たちも年を取り、いささか短気になり

いさかいも多くなったので、

何とかしようと思い、

姉妹は、牧師の生誕100年を記念して晩さん会を開くことを決めた。

 

そんなある日、フランスから便りが届き、

バベットは、一万フランの宝くじを当てた。

姉妹は、これで、彼女がフランスへ帰るのだと悟る。

 

主は与えられ、取り上げられた。

 

しかし、バベットは、晩さん会を自分のお金でやりたいと申し出て、

フランスまで買い出しに行った。

いよいよ、晩餐会の日。

その日には、立派な将校となったローレンスも叔母と一緒にやってきた。

 

バベットが作り出す料理。

将校となり洗練されたローレンスが

フランスで味わった女料理長の食事を思いだし、彼の発する言葉で、

どれだけの価値があるのか、伝わってくるが

 

それにもまして、語らなくても、

村人たちの顔がどんどん綻んでゆく中で、

如何にバベットの料理が素晴らしいものか、わかってくる。

 

すべてが終わり、マーチーネが

バベットにお礼を言うと、

ローレンスがフランスでであった女料理長こそ

バベットその人だと知る。

 

 

姉妹は、この素晴らしい食事は、

バベットがフランスに帰っても忘れないと告げると

バベットは、すべてを失くしたので、帰らない。

一万フランすべて晩餐会に使ったという。

 

一生貧乏のままで終わってしまうのではと

心配する姉妹であったが、

バベットは、パパンの言葉を引用し、

貧しい芸術家などいないと答え

そして、フィリパもパパンの言葉を引用し、

至高の芸術家になれると彼女を褒め称えた。

 

ローレンスは、これからも

マーチーネに至上の愛を誓い、別れを告げた。

 

どうして、こんなにあらすじばかり書いているのであろう?

何がどうということは一つもない物語。

だが、見ているうちに

告解でもしているように涙が出てくる。

 

何故なんだろうな?

清らかな心の人を見るということは、

こういうことではないか?

ローレンスが、

マーチーネと共にいることが、

いたたまれなくなって、

聖書の学びの集会から去っていく。

きっと、そんな風な思いというか、

心が洗われていく思いで、泣けてきた。

 

そう、そこには

つつましやかに

時と僅かな収入に善行を費やす清廉な姉妹がいた。

そして、善行を助けてくれるよう

バベット言う召使が神によって与えられた。

 

優しく心の汚れを洗い流してくれた映画だった。

 

 

 

 

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沈黙〜Silence

JUGEMテーマ:洋画 

遠藤周作の小説「沈黙」を映画化したもの。

日本へ宣教にやってきたフェレイラ神父が、棄教したという情報がイエズス会に届いた。

誰よりも熱情の神父に限ってそんなことはないと、

真相を知りたくてやってきたロドリゴ神父とガルベ神父が、

日本で見たものは、一体なんだったのか?

そこには、何もしてくれなかった沈黙の神の存在か、それとも。。。

 

一時は神父になりたかった程の思いのスコセッシ監督が、作り上げた作品である。

日本人にとって、キリシタン弾圧は、歴史の中で学び、

踏み絵や天草四朗の乱など

一つの出来事として知らない人は数少ないであろう。

 

解せない。解せない。

ただ、ロドリゴ神父は、どんな状況下においても

神父がキリスト教を捨てるということが解せなかった。

それならば、100パーセント殉教を選ぶはずだ。

 

マカオにたどり着いた二人は、キチジローという日本人と出会い、

彼を案内役として、日本に向かった。

たどり着いたその村で見たものは、

度々の弾圧で表情を無くした人たち。

しかし、彼らの中には信仰がある。

イエスキリスト。そして聖母マリアの存在。

どんなに辛くても、そばにいてくださる神の存在。

 

カトリック信徒には、赦しの秘跡と言って、

罪を告解し、神様に赦しを頂く恵みがある。

 

しかし、村人の中でじいさまと呼ばれるイチゾウには

洗礼を授けることが出来ても

その告解は、神父でなければ出来ない。

それほど、神父というのは、特別な存在なのだ。

 

ロドリゴ神父やガルベ神父が

日本にやってきたことに感謝し、

彼らは、罪の告白をし、赦しをもらうことでどんなにか救われたであろう。

 

厳しい弾圧の中、

村人4人にキリシタンの嫌疑がかけられ、

踏み絵を踏むことになった。

踏め!踏むしかない。

キチジローを含め、踏み絵は踏んだが、

それだけでは済まされず、十字架に唾を吐きかけよと命令される。

 

では、それは出来ることか?

 

十字架、そこには、ただの十字架ではなく

磔刑にされたイエスキリストの姿がある十字架。

出来たのは、再三、キリスト教を裏切りながら、キリシタンだというキチジローだけであった。

 

唾を吐く行為より、殉教を選んだ三人。

いや、そういうことではなく、出来ない行為だったのだ。

たとえ死んでも出来ない事。

 

三人は、海辺に作られた十字架にはりつけられた。

潮の満ち引きのあるその海岸で、

満ちれば、体の上まで波が来て、息が出来ない。

その繰り返しの中で、三人は息絶えた。

その中の一人、モキチは、四日間聖歌を歌い続けた。

何も出来ない無言の中で見つめる村人たち。

 

色々、見所が多い。

が、キリスト教の信徒でない人たち。

また、カトリックかプロテスタントか。

さまざまな感情の中で、鑑賞する感性も違ってくるだろう。

 

そして、これは、日本で、日本人に起こった出来事なのだ。

西洋の文化の中での弾圧ではない。

 

 

遠藤さんは、カトリック信徒であり、

自分には何か似つかわしくないと思った洋服を
着たくないと思いつつ、
しぶしぶ着ざるを得なかった。
だが、そのうちに
自分にあった身の丈にかえて、その洋服を着続けることを選んだ。


やっぱり、自分にはこれしか着れない。


それが、自分の中のカトリックだと話していたが、
まさに、そこに この映画に対しての

私の思い、違和感があったのかもしれない。
日本人らしい考えのカトリック

スコセッシ監督には、あてがわれた洋服をすんなりと着れる人だっただろうし
恰幅の良い彼には、ジャストサイズだったのだろう。

 

何かその辺の表現の仕方が、私には雑な感じに思えた作品だった。
 


ただ、モキチという人物には、泣けた。

信仰の深さは、どれだけものであったか。

手作りの磔刑のイエスの彫り物を自分の最期を知って、ロドリゴ神父に渡す。

それは、映画の最後まで存在を見せてくれた。

 

 

そして、キチジローという弱い弱い人間。

人から蔑まれ、バカにされても

死ぬことも出来ず、生きていく悲しみの人間。

その存在こそ、神が救おうとしているもっとも小さきものであり

それは、大多数の私たち人間の姿。

 

棄教したロドリゴ神父がいたからこそ、

罪を犯し続けても、告解が出来たのだ。赦されたのだ。

 

神は沈黙などしていなかった。

ただ、いつも弱い者のそばにいた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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