映画を語ろう。
愛を語ろう。
ギター弾きの恋〜Sweet and Lowdown 

JUGEMテーマ:洋画

 

ドキュメントタッチで、ある天才ギタリストのエピソードを語る面々。

そのオープニングの顔ぶれに、

ギタリストなど全く知らない私は、実話と思ったが、

最後にウッディアレンによって、

この映画の主人公は、存在せず作り話だと知らされた。

 

その架空の主人公〜エメット。

彼は、世界で癸欧世塙觚譴垢訶刑優タリスト。

彼には崇拝するギタリストがいた。

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そして、つまり、そのジャンゴは、フランスの実在のギタリストであるからややこしい。

どこからどこまで本当?

エピソードを語る面々によって、物語は進んでいく。

 

エメットは、ジャンゴに会った二回とも、感動のあまり失神した。

そして、エメットは、ジャンゴのレコードを聴いて涙する。

破天荒、へべれけ、遅刻魔、金遣いは荒い、わがまま

けれど、演奏したらピカ一さ!

そんなキャラクターを

誰かと思いきや、

ショーンペンが演じている。

 

久々に笑わせてもらった。

憎みきれないキャラクターを何でこうも表現できるのかな?

 

ある日、賭けに負けたエメットは、

口の聞けない小柄な女性ハッティと付き合うことになる。

 

そのやり取りが、どうにもこうにも面白い。

小さな頃、高熱を出して、口が聞けず、頭も少し弱いハッティ。

エメットは、自分の泊まっているホテルに連れて行く。

一曲きかせてやるからさ〜〜〜♪

体に手を回し、頭の弱いハッティを手玉に取ったつもりが、

反対にハッティのほうが、

エメットに積極的に迫り、洋服を脱がせようとする。

 

ちょっと!ちょっと!待ってくれ!

普通嫌がるんじゃないの?

 

あたふたするエメットとの「事の終わり」に、

ハッティが、約束のギターを催促すると、

憎みきれない優しいエメットは、ギターを奏でてくれた。

 

そうだな。。約束だったな。

 

その音を聞き入るハッティの表情がとても素敵。

 

それから二人は、一緒に暮らすことになるのだけど、

自由が好きだから、結婚はしないからね。

それが天才ギタリストなんだよ。と

洗濯屋で働くハッティには、

辞めずに働きなと責任は取らない偉そうなエメット。

 

 

それでもハッティは、彼のために掃除洗濯食事と身の回りのことをやってあげる。

どう見たって、こんなに良い子はいないと思えるほど

ハッティは可愛い。

特にいつも食べている姿がなんとも言えず愛くるしい。

 

その後、エメットは、ハッティを残し家を出て行き

上流社会の女性ブランチと突然結婚する。

上手くいくわけがない結婚。

 

ただ、ブランチが言った言葉は、最後に響いてくる。

ジャンゴとエメットの違い。

そこには、感情をさらけ出したものがあるかどうか。ジャンゴのそれには確かにあり

エメットは、感情を演奏に出すことが出来ていないのだ。

 

ブランチの不倫もあって、

また、ハッティのところに帰ったエメット。

いつもの洗濯屋に行き、

二人で、座ったベンチで、

偉そうにエメットは言い放つ。

「良かったら一緒に来ないか?」

 

口の聞けないハッティの表情がいつもと違う。

ハッティは、結婚していた。そして女の子も生んでいた。

 

エメットにとっては予想外。想定外。

いつまででも待っていると思っていたハッティは、もう誰かのもの。

 

「take it easy!」

日本語の字幕は、「あばよ!」

 

 

そして、その後、ハッティを完全に失ったことが

どんなに大切なものを失ったことかと気づいた時。

時はすでに遅し!だけれど、

大切にしていたギターを壊し、エメットは泣き崩れた。

 

私もバカで、エメットと一緒。

ハッティは、ずっと待ってくれてるとハッピーエンドしか予想しなかった。

 

けれど、ウッディアレンは、映画「道」を再現してた。

あの映画「道」のラストの悲しみを思えば、

ウッディアレンは、救いを残してくれたように思う。

 

エメットは、その後ブランチの言ったとおり、感情をギターにこめることが出来たのです。

素敵なレコードアルバムが残ったと

オープニングの面々は最後に語ってくれました。

 

全編に渡って、ハッティの演技の愛らしさに脱帽。

可愛くってしょうがないです。

だからこそ、二人のジエンドは、余計辛らかった。

 

 

 

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リリーのすべて〜The Danish girl

JUGEMテーマ:洋画

世界で初めて性別適合手術をしたリリーエルベ〜アイナーヴェイナーのお話。

映画の冒頭、タイトルが出る。

The Danish Girl〜つまりデンマークの女の子

日本語タイトルは、「リリーのすべて」であり、

国柄の違い〜何かしらのニュアンスの違いを思った。

 

最初のシーンの自然の美しさ。

まるで絵画を見てるようなその風景。

それは、アイナーが育った場所〜

そして、アイナーは風景画家として、妻のゲルダは肖像画家として

お互いを尊重し合い、認め合い

何よりも愛し合っている。

 

口に出して、何もかも言わなくても

ささやかな言葉と仕草、その雰囲気で

彼らがどれだけ愛し合っているか。。

画面から充分伝わってくる。

 

ある日、ゲルダは、仕上げに間に合わなくなった

モデルのピンチヒッターとして、

アイナーに足の部分のモデルを頼む。

 

ストッキングを履き、洋服を合わせ、

女性らしさを表現しようと

鏡に向かうアイナー

 

まんざらでもないアイナーに

ゲルダは、

リリーという女性名を付け、女装させ

一緒にパーティーにいくことしにした。

 

二人して、洋服を選び、メイクもして、楽しい時間。

しかし、パーティーで、

リリーと男性とのキッスをみてショックを受け

これ以上のお遊びは、もうやめだとアイナーに告げる。

 

しかし、何かが崩れはじめ。。

いや、何かが生まれはじめた。

 

アイナーは、見つけた。

アイデンティティを、リリーの中に

本当の自分を見つけた。

 

アイナーにとって、女装が発端ではなく

小さなころから、アイナーの中に

リリーが存在していただけのこと。

それをまさに知った。

 

リリーでいることが、自分なのだ。

 

それからの二人の愛に泣けてくる。

ゲルダにとっての苦悩。

男と女。愛の行為だってしたいし、

男に抱き寄せられたい。

けれど、それはエロスという愛。

 

彼女は、リリーを愛する。

リリーとアイナーは、ゲルダの愛する人。

男として、女としてではなく

人間として、愛する。

 

愛には4つの愛があると習ったのは、

昔々、倫理社会で習ったかな?

アガペーという究極の愛だと私は思う。

ゲルダはリリーを愛する。

 

だからこそ、最後に

リリーが求める女性としての体の手術にも

誰よりも応援し、

誰よりも友人として寄り添った。

人間リリーの幸せを何よりも願う。

 

リリー役のエディ・レッドメインは、あまりにも美しかった。

一つ一つの仕草を

女性らしいそれを求めて、

美しい体を求めて

維持するために節制もする。

 

彼女がどれだけ美しい人になりたかったか。

芸術家ゆえの妥協出来ない「美」の世界がある。

完璧に美しくなのだ。

 

ゲルダ役のアリシアヴィキャンデルは、

「アンナカレーニナ」では、

田舎娘キティ役で

ちっともきれいに思えなかったが、

今回は、存在感ある強い女性を演じていて、

美しかった。

 

 

芸術家同士、まず、究極に美を求め、

そこに価値観があるからこその二人の愛の物語。

そして、デンマークの女の子の物語。

 

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バベットの晩餐会〜Babettes gaetebud

JUGEMテーマ:洋画 

昔、デンマーク、ユトランドの辺境の村に二人の姉妹が住んでいた。

二人はもう若くはなかった。

マーチーネとフィリバ

〜名前の由来は、宗教家ルターとその友メランヒトンにちなむ。

 

彼女らは、時間と僅かな収入のほとんどを

善行に費やしていた。

彼女らの父親である牧師は、

晩婚でずいぶん前に亡くなった。

 

弟子たちは、年々少なくなったが

姉妹のもとで

今でも聖書を読んだり、牧師の精神を称えたりしていた。

 

姉妹にはフランス人の召使がいた。

名前はバベット

 

ルター派の姉妹に召使とは妙な話であり、

こんな辺鄙なところに

そして、なぜ姉妹のところにバベットがいるかは、

心の奥深く

秘密の領域の問題だった。。と映画の字幕は続き、

マーチーネとフィリパの若い頃に

映画はズームしていく。

 

若い頃のマーチーネとフィリパは美しく、

思いを告げたい男性もあったが、

娘たちは牧師と共に信仰の道を生きていた。

 

マーチーネには謹慎中の若き士官ローレンス

フィリパには、パリの有名なオペラ歌手パパンが、共に求愛したが、

結局、ローレンスは、

ひとかどの人にならなければ

マーチーネと二度と会うまいと誓うほど、深く感じるものを見つけ

また、パパンは、フィリパに歌唱指導をして、

パリで一緒に

その天使の歌声をと思ったが、叶わなかった。

 

時は、35年も過ぎ

ある嵐の日、バベットと言う女性が、

一通の手紙を持って、姉妹の家を訪ねてくる。

 

その手紙を読むと、

パリのパパンからのものであった。

パリでの革命時、夫と息子を殺された、

バベット夫人を助けるために

デンマークの知人を考えたところ

姉妹を思い出さずにはいられなかった。

バベットは料理が得意であるという文面であった。

 

そして、パパンは、

35年間のフィリパへの思いもしたためていた。

 

オペラ座で歌声が聞けず残念だった。

名声とは何か?

結局、人は皆墓に入るのだ。

 

けれど、私の歌姫よ。

今、私は思う。墓場は最後ではないのだと

天国で、再びあなたの歌を聞こう。

 

あなたは、そこで、至高の芸術家となる。

それが神の定め

天使もうっとりするだろう。

昔の友からの心からの敬意をお受け取りください

 

 

清貧な生活の中でも

バベットの料理の才は、目に見えてわかり、

僅かばかりのお金でも豊かな食事が出来ていく。

 

それからまた14年過ぎ、

村人たちも年を取り、いささか短気になり

いさかいも多くなったので、

何とかしようと思い、

姉妹は、牧師の生誕100年を記念して晩さん会を開くことを決めた。

 

そんなある日、フランスから便りが届き、

バベットは、一万フランの宝くじを当てた。

姉妹は、これで、彼女がフランスへ帰るのだと悟る。

 

主は与えられ、取り上げられた。

 

しかし、バベットは、晩さん会を自分のお金でやりたいと申し出て、

フランスまで買い出しに行った。

いよいよ、晩餐会の日。

その日には、立派な将校となったローレンスも叔母と一緒にやってきた。

 

バベットが作り出す料理。

将校となり洗練されたローレンスが

フランスで味わった女料理長の食事を思いだし、彼の発する言葉で、

どれだけの価値があるのか、伝わってくるが

 

それにもまして、語らなくても、

村人たちの顔がどんどん綻んでゆく中で、

如何にバベットの料理が素晴らしいものか、わかってくる。

 

すべてが終わり、マーチーネが

バベットにお礼を言うと、

ローレンスがフランスでであった女料理長こそ

バベットその人だと知る。

 

 

姉妹は、この素晴らしい食事は、

バベットがフランスに帰っても忘れないと告げると

バベットは、すべてを失くしたので、帰らない。

一万フランすべて晩餐会に使ったという。

 

一生貧乏のままで終わってしまうのではと

心配する姉妹であったが、

バベットは、パパンの言葉を引用し、

貧しい芸術家などいないと答え

そして、フィリパもパパンの言葉を引用し、

至高の芸術家になれると彼女を褒め称えた。

 

ローレンスは、これからも

マーチーネに至上の愛を誓い、別れを告げた。

 

どうして、こんなにあらすじばかり書いているのであろう?

何がどうということは一つもない物語。

だが、見ているうちに

告解でもしているように涙が出てくる。

 

何故なんだろうな?

清らかな心の人を見るということは、

こういうことではないか?

ローレンスが、

マーチーネと共にいることが、

いたたまれなくなって、

聖書の学びの集会から去っていく。

きっと、そんな風な思いというか、

心が洗われていく思いで、泣けてきた。

 

そう、そこには

つつましやかに

時と僅かな収入に善行を費やす清廉な姉妹がいた。

そして、善行を助けてくれるよう

バベット言う召使が神によって与えられた。

 

優しく心の汚れを洗い流してくれた映画だった。

 

 

 

 

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沈黙〜Silence

JUGEMテーマ:洋画 

遠藤周作の小説「沈黙」を映画化したもの。

日本へ宣教にやってきたフェレイラ神父が、棄教したという情報がイエズス会に届いた。

誰よりも熱情の神父に限ってそんなことはないと、

真相を知りたくてやってきたロドリゴ神父とガルベ神父が、

日本で見たものは、一体なんだったのか?

そこには、何もしてくれなかった沈黙の神の存在か、それとも。。。

 

一時は神父になりたかった程の思いのスコセッシ監督が、作り上げた作品である。

日本人にとって、キリシタン弾圧は、歴史の中で学び、

踏み絵や天草四朗の乱など

一つの出来事として知らない人は数少ないであろう。

 

解せない。解せない。

ただ、ロドリゴ神父は、どんな状況下においても

神父がキリスト教を捨てるということが解せなかった。

それならば、100パーセント殉教を選ぶはずだ。

 

マカオにたどり着いた二人は、キチジローという日本人と出会い、

彼を案内役として、日本に向かった。

たどり着いたその村で見たものは、

度々の弾圧で表情を無くした人たち。

しかし、彼らの中には信仰がある。

イエスキリスト。そして聖母マリアの存在。

どんなに辛くても、そばにいてくださる神の存在。

 

カトリック信徒には、赦しの秘跡と言って、

罪を告解し、神様に赦しを頂く恵みがある。

 

しかし、村人の中でじいさまと呼ばれるイチゾウには

洗礼を授けることが出来ても

その告解は、神父でなければ出来ない。

それほど、神父というのは、特別な存在なのだ。

 

ロドリゴ神父やガルベ神父が

日本にやってきたことに感謝し、

彼らは、罪の告白をし、赦しをもらうことでどんなにか救われたであろう。

 

厳しい弾圧の中、

村人4人にキリシタンの嫌疑がかけられ、

踏み絵を踏むことになった。

踏め!踏むしかない。

キチジローを含め、踏み絵は踏んだが、

それだけでは済まされず、十字架に唾を吐きかけよと命令される。

 

では、それは出来ることか?

 

十字架、そこには、ただの十字架ではなく

磔刑にされたイエスキリストの姿がある十字架。

出来たのは、再三、キリスト教を裏切りながら、キリシタンだというキチジローだけであった。

 

唾を吐く行為より、殉教を選んだ三人。

いや、そういうことではなく、出来ない行為だったのだ。

たとえ死んでも出来ない事。

 

三人は、海辺に作られた十字架にはりつけられた。

潮の満ち引きのあるその海岸で、

満ちれば、体の上まで波が来て、息が出来ない。

その繰り返しの中で、三人は息絶えた。

その中の一人、モキチは、四日間聖歌を歌い続けた。

何も出来ない無言の中で見つめる村人たち。

 

色々、見所が多い。

が、キリスト教の信徒でない人たち。

また、カトリックかプロテスタントか。

さまざまな感情の中で、鑑賞する感性も違ってくるだろう。

 

そして、これは、日本で、日本人に起こった出来事なのだ。

西洋の文化の中での弾圧ではない。

 

 

遠藤さんは、カトリック信徒であり、

自分には何か似つかわしくないと思った洋服を
着たくないと思いつつ、
しぶしぶ着ざるを得なかった。
だが、そのうちに
自分にあった身の丈にかえて、その洋服を着続けることを選んだ。


やっぱり、自分にはこれしか着れない。


それが、自分の中のカトリックだと話していたが、
まさに、そこに この映画に対しての

私の思い、違和感があったのかもしれない。
日本人らしい考えのカトリック

スコセッシ監督には、あてがわれた洋服をすんなりと着れる人だっただろうし
恰幅の良い彼には、ジャストサイズだったのだろう。

 

何かその辺の表現の仕方が、私には雑な感じに思えた作品だった。
 


ただ、モキチという人物には、泣けた。

信仰の深さは、どれだけものであったか。

手作りの磔刑のイエスの彫り物を自分の最期を知って、ロドリゴ神父に渡す。

それは、映画の最後まで存在を見せてくれた。

 

 

そして、キチジローという弱い弱い人間。

人から蔑まれ、バカにされても

死ぬことも出来ず、生きていく悲しみの人間。

その存在こそ、神が救おうとしているもっとも小さきものであり

それは、大多数の私たち人間の姿。

 

棄教したロドリゴ神父がいたからこそ、

罪を犯し続けても、告解が出来たのだ。赦されたのだ。

 

神は沈黙などしていなかった。

ただ、いつも弱い者のそばにいた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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グッバイ、レーニン〜Good bye Lenin!

JUGEMテーマ:洋画

東西ドイツの統合に巻き込まれた家族の愛情物語。

こんなに優しい嘘を突き通すことが出来たなら。。

 

冒頭シーンは、姉アリアネと弟アレックスのはしゃぐ姿で始まった。

幸せな一家が見えてくる。

だが、警察が家にやってきて

父親は西ドイツへ亡命をしたことを知り

何も知らなかったと言い切る母。

それ以降、一言も口をきけなくなった母親は、病院へ。

つまり、父親は、西ドイツの女性に心を奪われ

家族三人は捨てられた。

 

そんな事情を

主人公のアレックスを通して語られる。

 

病状が回復した母親は

家に帰って来てからというもの

社会主義にどんどん傾倒していく。

アレックスの言葉を借りれば、

ママは結婚相手を変えた。

セックスがない相手だけど、それは国家。

 

教育に精を出し、

共産党員として表彰までされていく。

ママには、社会主義が生きる希望。

 

ある日、内緒で

民主主義活動のデモに参加していたアレックスを

偶然見かけたママは、

あまりのショックで心臓発作で倒れてしまう。

昏睡状態に陥ったママ。

けれど、8ヶ月後に奇跡的に目が覚めた。

 

そして、家に帰りたいというママの願いを

アレックスは優しく受け入れようするが、

医者がいうには、

次の心臓発作がきたら、命の保証がないと言うことだった。

 

どうしよう!

ママが寝ていた8ヶ月の間に

ベルリンの壁は崩壊したのだ。

あの社会主義は無くなり

皆は、ドイツのサッカーチームの活躍に興じ、

コカコーラは進出し、

バーガーキングだってあるんだ!

そんな現実を知ったなら、

またショックで死んでしまう!

 

アレックスが起こした行動は、

ママのために

偽りの東ドイツの世界を演じきることだった。

偽装、偽装、偽装のオンパレード。

可笑しくなるほど

馬鹿まじめに

アレックスは真剣で、

実際、こんなに憐れなほど

愛してくれる息子っているのかしら?

 

しかし、その嘘には、

彼ら東ドイツの人々の願いも込められていたのではないかな?

 

コカコーラーは、東ドイツの国営企業と提携という段取りで

街に溢れる西ドイツの車は、

西ドイツの経済悪化で、亡命してきた難民という設定で、

 

アレックスの仕事仲間、映画野郎のデニスの協力で

ニュース映像を作成し、

愛するママにそれをテレビニュースとして見せる。

 

その涙ぐましい真剣さが

かえって、泣き笑いのコメディに変わっていく。

どんなにかどんなにか愛しているのだろね。

 

ママの二度目の心臓発作の前に

パパの亡命の真実が

アリアナとアレックスにママの口から告げられた。

映画の冒頭の語りとは大違いであったけれど、

グッバイ!レーニン。

 

アレックスは、ママの最期まで

嘘を突き通して見せた。

それも本当に素敵な

東ドイツのプライドを持って

グッバイ、レーニン!

そう、ベルリンの壁崩壊までを。

 

ママが死んだ後も

残るは、そんな思い出。

ママとの思い出は、悲しいグッバイレーニンじゃなく

幸せなグッバイレーニン!

 

あんな優しい息子がいたら。。と

素にもどった私は、

正直羨ましく余韻が残った。

 

 

 

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フルートベール駅で〜Fruitvale Station

JUGEMテーマ:洋画

2009年元旦、

アメリカ カリフォルニア州 フルートベール駅で

罪なき黒人が白人警官に撃たれた。

その殺人事件を素に

被害者 オスカーグラント三世の

残された人生の最後の2日間を映像で追う。

 

映画の始まりは、

実録のオスカーがフルートベール駅のホームで

警官に暴行を加えられ撃たれる瞬間だった。

パン!

乾燥した拳銃の音

 

オスカーグラント

前科あり、

遅刻の常習犯。現在 定職がない。

浮気癖あり。娘一人。

何よりも彼女と娘Tを愛している。

 

撃たれる前日の大晦日

それは愛するママの誕生日。

ママの誕生日を祝いたい。

そんな時、妹からの電話。

「悪い知らせよ。 家賃が払えない。お金を貸せて

良い知らせよ。 今日残業なの。」

 

定職のないオスカーが考えたこと。

また、危ない仕事〜薬の売人。

お客との待ち合わせ場所に向かったオスカー。

そこで、彼は刑務所での

愛するママとの会話を思い出す。

 

今日は、ママの誕生日。

認めてもらえる子供になりたくって

彼が起こした行動は、

映画を見ている人なら誰しも

その先に未来がほしかったと思う。

次の日に死ぬなんて。。

 

ママの誕生日を祝い、

さあ〜街に出かけて、新年を祝おうじゃないの!

 

愛するママは、危ないからと

車ではなく、電車を使うように進めた。

 

オスカーは、

仲間に電話した。

そう、ママのいうとおり電車を選んだから。

 

電車に乗り、街に着いたけど

彼女たちが寒くって

トイレに行きたいっていうもんだから、探してあげたオスカー。

そこに妊婦を連れた人がやってきて

オスカーは、また口利きをしてあげた。

もう、トイレは貸せないと言われていたのに。。

優しいオスカー。

 

彼女たちの用が終わるのを待つ間、

会話する二人。

 

結婚するの?

 

結婚出来ない。無職だから。

 

そんなこと大したことではないと

自分も無職で貧乏で、

そして、自分で仕事を始めて、指輪を買ったんだと語る彼氏。

最後にオスカーに名刺を渡してくれた。

何かあったら電話して!

 

未来が見える。チャンスが舞い降りた。

こんなに明るい未来が待っているはずなのに。

何故! 映画の冒頭のシーンが未来なの!

 

こうやって、映画の一つ一つの出来事を書いているのは、

オスカーの残された2日間にどれだけの恵みがあったか、

どれだけ善き人になって、

どれだけ善き息子、彼氏、父親 隣人になっていったかを伝えたくて

 

白人と黒人の確執は、長い間の歴史があり

どちらにも言い分があるだろう。

ただ、この事件に関しては、

丸腰のものへ

それも背中から撃つという行為は、犯罪そのもの。

 

現場にいる彼女は、

オスカーの居る場所へは近づくことも許されなかった。

また、何故救急車にも一緒に乗れないのか。

 

毅然と振舞っていた母親だが、

病院で、殺人事件だからと

最後に抱くことさえ許されなかった時、泣いた。

 

登場人物全てが、

皆 最後はオスカーに優しくって優しくって

オスカーは、偉い人でもないし、前科もあるし

遅刻もするけど、

彼の優しさが 皆をそうさせたと思った。

 

もし、この世に次の日もあったのなら。

 

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チャタレイ夫人の恋人2015〜Lady Chatterley's Lover

JUGEMテーマ:洋画

小説「チャタレイ夫人の恋人」は、遠い昔に読んだ。

何かしらの期待を持って

好奇心たっぷりのその頃の私は、

ただ、文学作品を読んだというラベルがほしかった。

頭の中で想像した夫人は、

ものすごい年増の女性。

全てが想像でしかない世界であり、

活字をどこまで追ったのか、結末も何も覚えていない。

 

今まで、「チャタレイ夫人の恋人」という名の

映画は見たことがない。

 

だが、この「チャタレイ夫人の恋人 2015」に限っては、

美しい心をそれぞれに綴った愛情の物語であり、

観終わった後、

我に返った私は、

隣人を本当に愛しているかと

自問自答した。

 

 

クリフォード・チャタレイとコンスタンスの出会いは、

チャタレイ家でのパーティであった。

 

騒々しい音楽〜無理に陽気になるなんてしたくはないわ!

コンスタンスが

クリフォードと知らずに発した言葉には、

ただ従順だけではない女性像を感じる。

 

そして、クリフォードは、

彼女の意見を取り入れ、

落ち着いた音楽に変え、彼女と踊る。

そこで、コンスタンスは

初めて彼がクリフォード・チャタレイと知るのだ。

決して、名誉やお金で近づいたような関係ではなかった。

 

その後、戦争がはじまり、

クリフォードは半身不随の身となって、戦地から帰ってくる。

それを迎え入れるコンスタンス。

 

半身不随に悲観するクリフォード。

コンスタンスの自由を奪いたくないと

銃の引金をひきかけた時、

お互いの悲しみと愛が交差した。

 

 

肉体関係がなくなっていくこと。

それは、どういうことを意味していくのか。

クリフォードの男としての悲しみ。

愛すれば愛するほどの

無力感は、

どこに向かっていくのか。

コンスタンスだって、

抑えきれない人間の性を

どうやって、何にぶつければいいのだろう?

 

そして、クリフォードが

看護人として雇った女性は、未亡人。

夫は、チャタレイ家保有の炭鉱現場で亡くなった。

 

ある日、彼女が、コンスタンスに

 

「肌のぬくもりがほしい。

夜になるともっと肌のぬくもりがほしい。

けれど、テッドでなければダメなの。」

と語る場面がある。

 

亡くなって6年経ってもそうなのかと

彼女の心に寄り添うコンスタンス

 

クリフォードが、跡取りを画策していた頃

コンスタンスは、森の番人として雇ったメラーズの子を宿した。

 

テッドを亡くし、

お涙のような保障金しかもらえなかった

看護人の女性は、

恨みを持って、クリフォードに

コンスタンスの不貞を告げる。

あなたも苦しめばいい!

 

コンスタンスは、

解雇される彼女に

何故、誰に聞いたのか?

メラーズなの?と問いだ出すと

 

メラーズは一言も悪愚痴など言わなかった事実を知り

彼女に向かって

心から愛していることを告げた。

 

貴族階級であろうが、

庶民であろうが、

コンスタンスは、心からメラーズを愛し、子を宿したのだ。

 

コンスタンスの選んだ道は、

名誉もお金も全て捨てて、愛の道だった。

 

エロスの場面など全くないと言っていいくらいの作品。

 

ただ、森の緑とコンスタンスのコントラストが

たまらなく美しい。

意志ある女性のコンスタンス。

 

小説「チャタレイ夫人の恋人」とは、

ストーリーも変わっているのかもしれない。

しかし、人間が求め続ける愛は

心だけでもなく、体だけでもなく

繋がり合った時の癒しを感じられる存在であることを

もう一度、確かめられたような気がした。

 

そこまで、優しく、人を愛しているのかしら?

ぞんざいな態度をしては、いないかしら。

 

そして、あの頃の年増の女性の主人公像は、

私が小説よりも増して年を取ったせいなのか

若い女性の物語になった。

 

 

 

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アデルの恋の物語〜

JUGEMテーマ:洋画

イザベルアジャーニー という女優がいる

当時、美しさに見とれ、

いつか彼女の映画を見たいと思っていた。

代表作は、言わずと知れた「アデルの恋の物語」

内容もあらすじもわからなかったけれど。

 

今年に入って、何かの調べ物をしている時に

このアデルの物語は、真実であり

ヴィクトリアユーゴーの次女の悲恋で、

33歳になったアデルの

あまりにも無残な恋愛であるとそこには書いてあった。

救いようのない結末。

 

映画のオープニングは、このアデルの物語は、

事実に基づき、全て実在した人物であり

一切のフィクションがないことを伝え、

アデルがカナダのハリファックスに着くシーンから始まった。

彼女がそこに来た目的は、

愛した男ピンソン中尉に会うため。

否、結婚するため。

 

ミス・ルーリーと名乗ったアデルは、

食事つきの下宿を借り、次に町の本屋で、メモ用紙を買う。

束で、いえ、一帖。

一帖 という単位は、一体どのくらい?

紙の小売単位は、帖と言う単位らしく

半紙が20枚で一帖だ。

 

そして、彼女が文章を書くというその行為〜シーンにびっくりした。

普通の人ならば、あそこまで激しく書けない。

何かしらの才能を感じるのは、文豪ユーゴーの娘だから。

その才能故に

とりつかれた様にペンを走らせる。

自分の思い。ピンソンへの思い。狂気。

 

 

 

下宿の夫人との会話で、兄弟の話をする場面がある。

兄弟のいない夫人は、アデルを羨ましいと言うが、

アデルは、一瞬、心の闇をあらわすかのような表情で

夫人のほうが幸せだと答えた。

私には印象深いシーンだ。

 

 

アデルの姉は、19歳の時に溺死した。

その夫も彼女を救うために一緒に亡くなった。

この出来事は、彼女にとって何をもたらしたか?

毎晩、事あるごとに姉の溺れる姿の悪夢を見るのだった。

 

 

とにかく、ピンソン中尉などは、

魅力も何もない。放蕩もので借金男。ペテン師。

それでもアデルは恋をした。

 

うぶな文学少女は、純粋に恋をした。命がけの恋

ストーカーとしかいいようない狂気。

 

うんざりするほどの熱情が、

観る側には耐えられないほどであるが

やがて、それが、哀しい物語に

こちらの気持ちも変わる時がやってくる。

 

アデルが言ってのける「愛は私の宗教」という言葉。

 

彼女の愛の対象は誰でもよかった。

結婚と言う亡霊に彷徨ったのは

33歳未婚女性という

言うに言われない思いも交差したかもしれないが。

 

 

度々のユーゴーからの手紙で

母親の体調の悪さを知っていたアデル。

母の訃報が新聞に載った時

ピンソンが加わる英国軍のバルバドス島へ駐在も新聞に載り

アデルは、母のもとではなく

バルバトスへ向かった。

 

身も心もボロボロになったアデル。

彷徨い歩くアデル。

ピンソンがそばに行き、アデルの名前を呼ぼうと

もう、彼女には、何も見えない。

生きているピンソンと

そうでないアデル。

 

まるで、最後のアデルは、

ユーゴ代表作の「レ・ミゼラブル」のフォンティーヌのよう。

 


 

私は、この作品とアデルの恋の物語と

どちらが先か調べたくらいだった。

 

夢破れて。

 

アデルは、島の人がフランスまで連れて帰り

その後、静かに療養した。

誰よりも長く生きたらしい。

 

イザベルアジャーニーの無垢な美しさと狂気と哀しみ

監督は、彼女をテレビで見て

すぐに決めたらしいが、

彼女以外

他に誰がキャスティングで思いつくだろうと私も思った。

 

哀しく狂気と言えるほどの愛〜

アンナカレーニナのキーナナイトレイも美しかったが

アジャーニーの哀しみは、誰もたどり着けない。

 

 

 

 

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フォーウェディング〜Four Weddings and a Funeral

JUGEMテーマ:洋画

結婚に踏み切れないチャールズとその仲間たちの

四つのウェディングと一つのお葬式のお話。

 

ヒューグラント演じるチャールズは、

今日も今日とて、同居している妹分のスカーレットと共に

花婿付添人として、結婚式に出かける。

 

 恋愛相手はたくさんいるが、

 どうも結婚までを考える相手に出会えない。

 しかし、今回の結婚式で、

 彼は、イギリスにやってきた

 アメリカ女性に出会う。

 

                                                素敵な黒いハットを被っているキャリー。

しかし、仲間のフィオナに聞けば、一言 アバズレ!      

   

それでも彼には気にかかるキャリー。 
何とか彼女のホテルまで行き、一夜を共にするが、

翌朝の彼女の言葉にチャールズは戸惑った。

 

 「婚約発表はいつにする?」

 突拍子もないような言葉の真意。

 運命を感じたのにも関わらず

 キャリーの言葉を受け止めることの出来ないチャールズ

 ピリオドを打つキャリー
 

そして、二つ目の結婚式でもキャリーと出会い、

満を持して、思いを打ち明けようとするが

彼女はすでに婚約をしていた。 

 

そのキャリーの結婚式で、友人のギャレスが倒れた。

周りの友人たちに、結婚相手を積極的に見つけよと

優しく語りかけていたギャレス。

彼は、同性愛者で、仲間の一人マシューとパートナーの間柄であり、

つまり、独身で結婚できない仲間の中で

唯一、愛し愛される存在を見つけた人だった。

 

ギャレスの葬式で、マシューが弔辞を述べる。

それは、まぎれもない深い愛。

                

その思いの言葉が見つからなく、

彼はオーデンの詩を借りて、哀しみを伝えてくれた。

一見ドタバタのような恋愛映画で終わるかと思いきや

マシューのギャレスへの思いのこのシーンで、

どんでん返し、記憶に残る映画となった。

 

人には、誰でも主人公になれる時がある。

それは、結婚式と葬式。

そう語りながら、

同性愛者として決して叶うことのない結婚式ではなく葬式で、

ギャレスは主人公になれたのか。

 

以下が、オーデンの詩です。

色んな訳があるけれど、

この映画の字幕の方の訳が、

一番しっくり心に入ってきた。

 

時計を止めよ 電話を切れ 

ほえる犬を黙らせよ
ピアノもドラムも止めよ 

棺を出せ
嘆きの列を通せ     

飛行機を空に飛ばしー
こう 書かせよう     

彼は死んだ


ハトの白い首に黒い喪章を巻け
警官は黒い手袋をはめよ


彼は私の道しるべ
仕事の毎日 休みの日曜
私の真昼 真夜中
おしゃべり そして歌


愛は永遠と思ったがー
それは違う


星も意味はない
一掃せよ
月も太陽も排除しよう
海も森も遠ざけよ


慰めるものは何もない

 

 

結局、エンドロールで、チャールズとキャリー、

その他の結婚できなかった面々のその後が映し出されるが、

皆ハッピーエンドでよかったね。

 

 

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フューリー
JUGEMテーマ:洋画
第二次世界大戦の最中
ナチスドイツ軍と戦った
戦車フューリー号のクルー5人の物語。

これは、戦争映画か?
それとも何なんだ!
キャプテン〜ドン・ウォーダディ
そして、通称バイブル、クーンアス、ゴルドと言われる面々
彼らは、北アフリカからずっと
一緒に戦い生き抜いてきた。
そのフューリー号に
新たなクルーが配属された。
「前線はどこだ?」
戦闘も知らない、戦車にも乗ったことがない
新米兵士ノーマン。

「ありとあらゆる方向が前線さ!」

いったいこんな奴とフューリー号に乗れるのか。

そして、事故が起きた。
副操縦士として乗りこんだノーマンの
判断ミスで、フューリー号の前を走っていた戦車が破壊される。
ノーマンは、ドイツの少年兵を見つけていたにも関わらず
発砲しなかった。
「子どもだったから」
しかし、その少年兵が、襲撃し、
味方の中佐が死んだのだ。
怒り狂うブラッドピット演じるドン・ウォーダディ
 僕は殺したくない。叫ぶノーマン。
その思いは、いかなる時でも正義か?
ドンは、見つけたドイツ兵を殺すように
ノーマンに命じる。
嫌がるノーマンに
ピストルを持たせ引金を引いた。


       
            
 


これが戦争なんだ。
理想と現実。戦争と平和。

ウォーダディ率いるフューリー号は、
小さな町にやってきた。
防衛戦に参加しない市民を見せしめのために吊るし上げにするナチス。
その残酷な支配を制圧している時
ウォーダディは、民家に隠れているドイツ人の女性二人を見つけた。
ノーマンと一緒に四人で
ひと時の安らぎの時間を過ごす。
 若い二人のつかの間の幸せ。
いつも思うが、戦争時のピアノは
どれだけ、心を癒してくれるものであるかと思う。
ノーマンの優しい音楽が
エマの心に触れた。
どうぞ、このまま。
この時を。永遠を誓い合いたい。

しかし、無情にもドイツ軍の砲撃で、エマの家は破壊された。
がれきに埋もれたエマは、もう死んでいる。
ノーマンは、そのがれきに向かって行こうとしていた。

「お前はキリストか!」

「血も涙もないのか!」
激しいやり取りをするノーマンとクーンアス。

戦争なんだ。今は戦争なんだ。
血も涙も抱えながらも使命がある。
ノーマンをフューリー号に連れて帰ってきたのは、
エマの家でつかの間の食事を
台無しにしようとしていたクーンアスだった。

その町を通過し、フューリー号の次の任務が宛がわれた。

それは交差点を封じ込めること。         
小隊を組んでいったが、敵の戦車に三台撃破され、


とうとう、フューリー号たった一台で
交差点を封鎖することになってしまった。
しかし、その交差点に来た時、地雷を踏み走行不可能となる。
そして、そこにドイツ軍がやってくる足音が聞こえ、
彼らはどう逃げたらいいのか。

ウォーダディがいう。
これが、なんだ。
フューリー号から逃げるなんてできない。
他のクルーは、
さあ、どうするのか。
この映画で、バイブルというクルーが出てくる。
実に何故、バイブルという役が必要なのか。
最後のこのシーン失くして、それは語れない。
彼は旧約聖書のイザヤ書6章を唱える。

その時、主の声を聞いた。
誰を遣わそう?
誰が行くだろう?
そしてー
私は言った。
私がおります。
私を遣わして下さい


これは、イザヤの召命なのだ。
ドンと共に戦ってきたクルーは、
ノーマンに言っていた。
ドンがずっと命を守ってくれた。
そして、そのドンの家で、何を守る。
命より大切な何を守る?

最後の晩餐のごとく、彼らはウイスキーを飲み干す。
ドン
   バイブル
    クーンアス   ゴルド

そして、ノーマンは、この時洗礼名を与えられる マシーンという使徒なのだ
      


彼らは、ここに踏みとどまり、
平和を勝ち取るために戦争を終わらせる使命があった。

交差点の十字路は、
右にも左にも上にも下にも行かない
天と繋がれた場所なのだ。



ラストのこの映像が全てを物語る。

愛を語り、平和を語るためには
戦わなければならない使命の人もいる。
犠牲なくして、求めるられるほど
たやすくない平和。
最後に残ったノーマンの見たものは
何だったのか。


フューリーとは、怒りであり
何を象徴し、その十字で留まったのか。
そして、救ったのか。

映画「神々と男たち」を思い出した。
フランスに脱出することを止め
自分たちの使命を果たし、
アルジェリアで行方不明になった神父たち。
それと同じようにこの映画も深く感動した。
フューリーも信仰の物語のような気がしてならない。


 
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