映画を語ろう。
愛を語ろう。
トゥー・リブ・アゲイン

JUGEMテーマ:洋画

 

母の手によって、16年間監禁されていた娘カレンと

事故で自分の娘を失ったソーシャルワーカー・アイリス

関わりあっていく中でお互いに人生を取り戻すためのお話。

 

被害者カレンを母親が

親ゆえに

行き過ぎた管理をするところから悲劇が始まったのかもしれない。

 

監禁されていたカレンと交わる中で

アイリスは、過去に何が起こったか知っていく。

 

母親は、姉の精神障害があったことで、過敏になってしまった。

厳格に保守的に

世間に向かって、迷惑をかけられない。

と思う考えが、加速しての監禁だが

母子家庭ゆえに一定の感情を超えていったのだろう。

彼女にとっても強迫観念があるのだ。

 

誰か周りに相談する人がいたら、

誰かの支えがあったのなら、

この悲劇は生まれなかったのではないか。

 

実話らしい。

しかし、多かれ少なかれ、

親子の関係の中で、支配しすぎる親に苦しむ子どもたちがいるのだ。

 

この母親の存在は、盲目だ。

 

一方、アイリスも

娘を亡くし、まだ立ち直れないでいる。

 

誰のせいで娘が亡くなったのか。

彼女は自分を責め続けているのかもしれない。

アイリスの娘は、飲酒運転をしていて亡くなった。

もしも、あの時、止めることが出来たなら。

 

精神病は、

精神病としての治療を行うことが必要であるが、

その手前で、ずいぶん、もしかして

私たちは、面倒だという愛を欠いた接し方で、

誰かを病人にしてしまう過ちを犯しているのではないかな

 

こんなハッピーエンドの実話があるなんて、何か救われたようだ。

 

精神病院での一生で終わるか、それとも1人で生活できるか

その審問会で、

 

カレンが1人で生きる決意を述べるとき

 

「アイリスのように人の優しく、動物に優しく

知らない人に優しい人になりたい」と話す。

 

優しさは、やはり愛からしか生まれない。

そして、愛がなければ人は救えない。

 

 

 

 

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チャンス〜Being There

JUGEMテーマ:洋画

 

チャンスという庭師が、この世の中で触れたもの。触れ合った人たち

それは、いったい何だったのだろう?

 

チャンスは、庭師として住み込みで働いていたが、

屋敷の主が亡くなり、家を出なければいけなくなった。

 

生まれてこの方、外界との接触のないチャンス。おまけに知的障害もありそうだ。

今まで、メイドのルイーズから、食事を与えられていたチャンスには、

食べることさえもどうやっていいのかわからない。

雑踏の中で、お腹が減っていると見知らぬ人に問いかければ、逃げられる始末

 

そして、お腹をすかして、彷徨っている間に高級車にぶつかってしまった。

乗っていた婦人イブに、家での治療を勧められ、向かったのは大邸宅。

 

そこには不治の病のベンジャミンがいた。

自己紹介で、チャンス・庭師と言ったつもりが

チャンシー・ガーディナーという名前に勘違いされ、

チャンスのチャンシー・ガーディナーとしての人生がここから始まった。

 

ベン、チャンシー イブ、三人の関係は、実に平和だ。

 

ベンやイブの問いかけに

余計なことは言わず、ただ自分が知っている事だけを話すチャンシー。

彼は、庭師であり、それだけなのだ。

文字も読めず、テレビのチャンネルを次から次へと

リモコンで変えていく。

 

話していてつじつまが合うの?

どうかしてない?と思うけれど、

チャンシーの言葉をベンもイブも好意的な解釈に変えていく。

 

その「間」というかゆっくりとした口調というか、

私にとっては、イライラする時もあった。

けれど、それが、私が失っているものなのかと自問自答する。

 

とうとう、ベンを通じて、知り合えた大統領にも

チャンシーの語る庭師の理論が、経済論への助言になってしまう。

また、

テレビが好きだからという言葉も

テレビ出演もOKだという風に解釈され、

副大統領の代わりに出た番組のインタビューで、国民の支持まで得てしまう。

いったい、チャンシーは何者!と

身の上調査も始まるが、CIAもFBIも誰もわからない。

 

皆異口同音に言うのは、

チャンシーといると、良い気分でいられるようになる。

つまり、その存在に心の平安を感じるようになるのだ。

ベンは、死ぬことさえも怖くなくなったという。

 

これってどういうことだろう?

気がつけば、映画はどんどん進んでいて、

あっという間に、終わりに近づく時間になっていた。

 

ベンもイブもチャンシーもお互いに愛していた。

平等に愛し合っていたように思う。

ラストシーン近くのベンが亡くなった時、

担当医ロバートに、チャンシーがイブのことを「愛してる」と言う場面があるが

 

あ〜生きること、人生の原点は、これさえあればいいのだと

チャンシーの言葉が心に染みた。

 

ラストシーンは、聖書を思わせる。

キリストが水の上を歩くと

弟子たちは、それが出来ない。信じきれてない心の対比。

同じように

水の上を歩くチャンシー。

そうか、愛を説いて去っていくのか。

そして、ベンのメッセージ

人生は、心の持ちよう という言葉と共に

 

辻仁成氏の好きな映画の一つだと知り、やっと見ることが出来ました。

なんだかな、なんだか。 言葉は要らない中で、見つけ出せるもの。

 

ピンクパンサーのクルーゾー警部役でおなじみのピーターセラーズ主演。

彼の遺作となった作品です。

言葉の伝え方、間の取り方、実に素晴らしいのではないでしょうか。

彼の奥さんは、リンフレデリックと言ってとても美しい人でした。

年齢差のある結婚でしたが、ゼンダ城の虜で共演されています。

 

イブ役のシャーリーマクレーンは、

愛と喝采の日々などとは、全く違って、可愛い女性らしさが出ています。

チャンシーに「見ることが好き」と言われ、

勝手に解釈して、そのような行為をするところも

チャーミングな彼女ゆえ楽しく見れました。

 

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沈黙〜Silence

JUGEMテーマ:洋画 

遠藤周作の小説「沈黙」を映画化したもの。

日本へ宣教にやってきたフェレイラ神父が、棄教したという情報がイエズス会に届いた。

誰よりも熱情の神父に限ってそんなことはないと、

真相を知りたくてやってきたロドリゴ神父とガルベ神父が、

日本で見たものは、一体なんだったのか?

そこには、何もしてくれなかった沈黙の神の存在か、それとも。。。

 

一時は神父になりたかった程の思いのスコセッシ監督が、作り上げた作品である。

日本人にとって、キリシタン弾圧は、歴史の中で学び、

踏み絵や天草四朗の乱など

一つの出来事として知らない人は数少ないであろう。

 

解せない。解せない。

ただ、ロドリゴ神父は、どんな状況下においても

神父がキリスト教を捨てるということが解せなかった。

それならば、100パーセント殉教を選ぶはずだ。

 

マカオにたどり着いた二人は、キチジローという日本人と出会い、

彼を案内役として、日本に向かった。

たどり着いたその村で見たものは、

度々の弾圧で表情を無くした人たち。

しかし、彼らの中には信仰がある。

イエスキリスト。そして聖母マリアの存在。

どんなに辛くても、そばにいてくださる神の存在。

 

カトリック信徒には、赦しの秘跡と言って、

罪を告解し、神様に赦しを頂く恵みがある。

 

しかし、村人の中でじいさまと呼ばれるイチゾウには

洗礼を授けることが出来ても

その告解は、神父でなければ出来ない。

それほど、神父というのは、特別な存在なのだ。

 

ロドリゴ神父やガルベ神父が

日本にやってきたことに感謝し、

彼らは、罪の告白をし、赦しをもらうことでどんなにか救われたであろう。

 

厳しい弾圧の中、

村人4人にキリシタンの嫌疑がかけられ、

踏み絵を踏むことになった。

踏め!踏むしかない。

キチジローを含め、踏み絵は踏んだが、

それだけでは済まされず、十字架に唾を吐きかけよと命令される。

 

では、それは出来ることか?

 

十字架、そこには、ただの十字架ではなく

磔刑にされたイエスキリストの姿がある十字架。

出来たのは、再三、キリスト教を裏切りながら、キリシタンだというキチジローだけであった。

 

唾を吐く行為より、殉教を選んだ三人。

いや、そういうことではなく、出来ない行為だったのだ。

たとえ死んでも出来ない事。

 

三人は、海辺に作られた十字架にはりつけられた。

潮の満ち引きのあるその海岸で、

満ちれば、体の上まで波が来て、息が出来ない。

その繰り返しの中で、三人は息絶えた。

その中の一人、モキチは、四日間聖歌を歌い続けた。

何も出来ない無言の中で見つめる村人たち。

 

色々、見所が多い。

が、キリスト教の信徒でない人たち。

また、カトリックかプロテスタントか。

さまざまな感情の中で、鑑賞する感性も違ってくるだろう。

 

そして、これは、日本で、日本人に起こった出来事なのだ。

西洋の文化の中での弾圧ではない。

 

 

遠藤さんは、カトリック信徒であり、

自分には何か似つかわしくないと思った洋服を
着たくないと思いつつ、
しぶしぶ着ざるを得なかった。
だが、そのうちに
自分にあった身の丈にかえて、その洋服を着続けることを選んだ。


やっぱり、自分にはこれしか着れない。


それが、自分の中のカトリックだと話していたが、
まさに、そこに この映画に対しての

私の思い、違和感があったのかもしれない。
日本人らしい考えのカトリック

スコセッシ監督には、あてがわれた洋服をすんなりと着れる人だっただろうし
恰幅の良い彼には、ジャストサイズだったのだろう。

 

何かその辺の表現の仕方が、私には雑な感じに思えた作品だった。
 


ただ、モキチという人物には、泣けた。

信仰の深さは、どれだけものであったか。

手作りの磔刑のイエスの彫り物を自分の最期を知って、ロドリゴ神父に渡す。

それは、映画の最後まで存在を見せてくれた。

 

 

そして、キチジローという弱い弱い人間。

人から蔑まれ、バカにされても

死ぬことも出来ず、生きていく悲しみの人間。

その存在こそ、神が救おうとしているもっとも小さきものであり

それは、大多数の私たち人間の姿。

 

棄教したロドリゴ神父がいたからこそ、

罪を犯し続けても、告解が出来たのだ。赦されたのだ。

 

神は沈黙などしていなかった。

ただ、いつも弱い者のそばにいた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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チャタレイ夫人の恋人2015〜Lady Chatterley's Lover

JUGEMテーマ:洋画

小説「チャタレイ夫人の恋人」は、遠い昔に読んだ。

何かしらの期待を持って

好奇心たっぷりのその頃の私は、

ただ、文学作品を読んだというラベルがほしかった。

頭の中で想像した夫人は、

ものすごい年増の女性。

全てが想像でしかない世界であり、

活字をどこまで追ったのか、結末も何も覚えていない。

 

今まで、「チャタレイ夫人の恋人」という名の

映画は見たことがない。

 

だが、この「チャタレイ夫人の恋人 2015」に限っては、

美しい心をそれぞれに綴った愛情の物語であり、

観終わった後、

我に返った私は、

隣人を本当に愛しているかと

自問自答した。

 

 

クリフォード・チャタレイとコンスタンスの出会いは、

チャタレイ家でのパーティであった。

 

騒々しい音楽〜無理に陽気になるなんてしたくはないわ!

コンスタンスが

クリフォードと知らずに発した言葉には、

ただ従順だけではない女性像を感じる。

 

そして、クリフォードは、

彼女の意見を取り入れ、

落ち着いた音楽に変え、彼女と踊る。

そこで、コンスタンスは

初めて彼がクリフォード・チャタレイと知るのだ。

決して、名誉やお金で近づいたような関係ではなかった。

 

その後、戦争がはじまり、

クリフォードは半身不随の身となって、戦地から帰ってくる。

それを迎え入れるコンスタンス。

 

半身不随に悲観するクリフォード。

コンスタンスの自由を奪いたくないと

銃の引金をひきかけた時、

お互いの悲しみと愛が交差した。

 

 

肉体関係がなくなっていくこと。

それは、どういうことを意味していくのか。

クリフォードの男としての悲しみ。

愛すれば愛するほどの

無力感は、

どこに向かっていくのか。

コンスタンスだって、

抑えきれない人間の性を

どうやって、何にぶつければいいのだろう?

 

そして、クリフォードが

看護人として雇った女性は、未亡人。

夫は、チャタレイ家保有の炭鉱現場で亡くなった。

 

ある日、彼女が、コンスタンスに

 

「肌のぬくもりがほしい。

夜になるともっと肌のぬくもりがほしい。

けれど、テッドでなければダメなの。」

と語る場面がある。

 

亡くなって6年経ってもそうなのかと

彼女の心に寄り添うコンスタンス

 

クリフォードが、跡取りを画策していた頃

コンスタンスは、森の番人として雇ったメラーズの子を宿した。

 

テッドを亡くし、

お涙のような保障金しかもらえなかった

看護人の女性は、

恨みを持って、クリフォードに

コンスタンスの不貞を告げる。

あなたも苦しめばいい!

 

コンスタンスは、

解雇される彼女に

何故、誰に聞いたのか?

メラーズなの?と問いだ出すと

 

メラーズは一言も悪愚痴など言わなかった事実を知り

彼女に向かって

心から愛していることを告げた。

 

貴族階級であろうが、

庶民であろうが、

コンスタンスは、心からメラーズを愛し、子を宿したのだ。

 

コンスタンスの選んだ道は、

名誉もお金も全て捨てて、愛の道だった。

 

エロスの場面など全くないと言っていいくらいの作品。

 

ただ、森の緑とコンスタンスのコントラストが

たまらなく美しい。

意志ある女性のコンスタンス。

 

小説「チャタレイ夫人の恋人」とは、

ストーリーも変わっているのかもしれない。

しかし、人間が求め続ける愛は

心だけでもなく、体だけでもなく

繋がり合った時の癒しを感じられる存在であることを

もう一度、確かめられたような気がした。

 

そこまで、優しく、人を愛しているのかしら?

ぞんざいな態度をしては、いないかしら。

 

そして、あの頃の年増の女性の主人公像は、

私が小説よりも増して年を取ったせいなのか

若い女性の物語になった。

 

 

 

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読書する女
JUGEMテーマ:洋画
読書好きのヒロイン コンスタンスが、毎晩読む本は、
「読書する女」
その物語は、出張朗読を職業とする女性マリーが、
色んな理由わりお客様と出会うというテーマだが、
物語は、コンスタンスがマリーに同化していく形で、進行していく。
実に小粋で楽しい映画。
   
 
恋人の傍らで、読むコンスタンス。
つまり、それは、物語の主人公マリー

美しい声の朗読はいかがですか?

そんな出張朗読の新聞広告を出した彼女のもとに
最初に届いた依頼人は、女性だった。
彼女には、半身不随の息子がおり、彼の朗読をお願いした。
   
       

マリーの大学時代の恩師によれば、
稀にみる「人たらし」という彼女〜
それは、つまり、そこのところ、
この映画は、「色」で表しているのかしら?と私は思った。

二回目の訪問時には、
彼女は、少年色の洋服、つまりグリーンの心で彼に添っていく。
そして、
マリーが選んだ本は、モーパッサン、ボードレール

彼女の美声を聴きながら、性の目覚めを我慢できない少年。

    

マリーは、少年の心に呼応するかのごとく、
スカートの中の見え隠れを少しずつ披露する。
そして、何度かの訪問時に
彼の懇願に対して、彼女の見せる心意気は、
いやいや、本当に「人たらし」?

次に彼女の美声広告を見て依頼したのは、元ハンガリー将軍の未亡人。


    

何て素敵な声の持ち主! 
自称100歳だと言う彼女に気に入られるマリー
レーニン、スターリン、
そんな言葉が飛び交う中
「戦争と平和」を読んだり、
今日はレーニンの命日よと言いながらお花まみれの部屋だったり、
共産主義の赤色が咲く

     


そして、今度は男性からの依頼があった。
もっぱら、彼の目的は、マリーとの性的な関係。
どうする?

     

しかし、彼女は、彼色のファッションで身をまとい
「人たらし」となることに決めた。

  
     

マリーのファッションが、本当に素敵です。
それぞれのカラーは
顧客と一体化する世界を表しているのだと思うけれど、
心を惹きよせて、朗読が成り立つ。

彼女のオリジナル色はブルー
その色が変化する時、
彼女は、出張朗読「読書する女」に変わる。

緑色の少年のお話の中で、
半身不随の彼に
目の見えない友達がいて、
彼ら二人が誕生会で、マリーに読んでもらう童話がある。

「盲者と下肢麻痺者」

ピエールとポールは兄弟であった。
ポールが足の自由を失った時も
ポールが視力を失って帰って来た時も
ピエールは、哀しまず、ざまあみろと思うほど
仲の悪い兄弟であったが、二人とも遠い海に憧れていた。

海はどんな味なのか?
ピエールは、海には行きたいが、道がわからない
ポールも海に行きたいが、歩けない。
そこで、ピエールがポールを背負い出発し
足がつかれても、弱音を吐かず
ポールも
暗闇や雨の中を歩いても
目がつかれたとは言わなかった。

そして、海へ着いたその朝
初めての匂いが二人の鼻をかすめた。
それは、世界の果てだった。
二人は笑い声をあげ、海に入っていく。
今は二人は同じ。
海が二人の目を焼き、足跡を消すから。
  
   
この話を聞いて、目の不自由な友達が美しいと言えば
半身不随の少年は、
もっと美しいマリーが見えると
目が見えると言う優越感を唱えるが
目の不自由な友達は、
自分にはもっと美しいのだ。
想像するのに目はいらないと伝える。

最後に老検事からの仕事の依頼が来る。
彼の目的は、確かにやはりのそれで、
サドの「ソドムの120日」という本の朗読だった。
動揺せず読み切るマリー。
その先は? 
それは、彼女のファッションでわかることだろう。



色んな本の名前が出てくる。
世界にはたくさんの本がある。
朗読というのは、魅力的な職業だと本当に思った。
声が伝えるものは、何?

主人公コンスタンスのショートヘアーと帽子がとても可愛い。
やり過ぎ感がなくてよかったのは、
あ〜これがやっぱりフランス映画だからかもしれない。






 
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ドリームガールズ
JUGEMテーマ:洋画
ザ・スプリームスの元メンバーがその軌跡を
自伝として発表し、それを元に舞台が作られそれを映画化したもの。

グループのメンバーには
ダイアナロスをイメージしたディーナという女性。
その役をビヨンセが演じていたが、
控えめな演技と美しさが
最後に「listen」という歌声になって爆発する。
素晴らしい。

メディアに向かって、黒人シンガーの売り方の是非はあろうが、
敏腕プロデューサーのやり方は、
売れるために
世間の流行に沿って。
法に触れそうなこともやって
それが、メンバーの個人各々の思いなど
まったく無視だとしても。

それが1人のメンバーの脱退にもなるが、
仕事というものをどう理解するかだろう。

ディーナは、
プロデューサー カーティスが
待ち望んでいた女性であり
そして、夢であり
男は夢がなければ生きていけない。
そんな台詞どおり
物語は進んでいく。

カーティスの自分の夢を育てる。

しかし、ディーナは
夢の中で生きることより、
1人の人間として、カーティスの夢から醒めて、自分の夢〜道を歩もうとする。
それが「listen」

ルックスが悪く、メインになれなかったというエフィ役を
ジェニファーハドソンがしていたが、
彼女の歌声は、迫力がありすぎて
私には、少し耳触りに思った。
ただ、ワンナイトオンリーは、ディーナのバージョンより好きだった。

スターになるということは、難しく
そして、得るものが大きければ大きいほど
失うものも大きい。
だが、その輝きは、誰も手に出来るものじゃない

最後は色々ハッピーエンドに終わり、エンターテイメントな映画だった。

「lisuten」の素晴らしい
映画の中の訳を以下に抜粋。

聞こえる?
私のハートで歌っている歌が
心に浮かんだメロディー
でも なぜか最後まで続かない
貴方に聞こえる?
心の底から湧き出る声が
その声は求めている。
束縛から放たれたいと

私にも夢がある
その声を聞いて

私が本当はどういう女なのか

とっくに死んだと思っていた
私の心の声が
大声で叫ぶから 
私の夢を聞いて

これからは自分の声を探す
行き先は見えないけど




 
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デカメロン
JUGEMテーマ:洋画
  ボッカチオのデカメロン
イタリアの文学をイタリアの監督パゾリーニが、映画化したもの。

デカメロン〜10日間という意味であり
私は本を持っているが、それはそれは ぶっとい本。

デカメロンの本の内容は、
ペストが流行した時期に、
男女10人が、退屈しのぎに話をすることになった。
1人ずつ、テーマにしたがって、1話ずつ語り合う。
それを10日間繰り返せば、
つまり、100個のお話となる。

10日間のテーマは、その日によって違い、
映画の中で紹介されたものは、それぞれに違っていた。

それにしても
なんと、おおらかなエロチズム!

イタリアの開放的な性には、大いに笑わされる。

神に対する信仰も
時には、俗的に、時には敬虔に
そこには、純朴な人間性があるからだ。

生きる限り、性は付きまとうものであり、
人間の欲望の一つ。

すました顔つきで、
聖なる顔つきでいても、
こんな語らいをするのは、楽しいことなのだ。

色んなお話があったが、
最初の「ウン」がついたお話は、
どこの国にでもありそうな愉快な話。

次に修道院にやってくる
「すけこまし」目的の若い男性は
耳も口もきけないと言う嘘をついて修道院の中に入ろうとする。

院長は、憐れんで、
修道院の中の雑用を任せることにした。

ある日、若いシスターが、
村の娘たちの話を聞いて、性の妄想をしたことを
同僚のシスターに相談し
若い口もきけない男性と試してみることにする。

それはそれは、甘美な時間であり、
相談されたシスターも同じことを若い男性にせがむ。
二人だけの秘密よ!

しかし、他のシスターは、実に見ていたのだ!

院長に告げ口!と思いきや、
皆も若い男性との甘美な経験をせがむのである。

ある日のこと、
院長は、1人でいる若い男性を見つけ、
なんと、院長まで若い男性にせがんでしまった。

さてさて、、
そこで、若い男性は、
本当は口もきけるし、すけこましにきたが、
こうも10人のシスターの相手でへとへとだと白状をする。

しかし、ここからのオチがたまらない!

奇跡!
奇跡!だと
院長は、若い男性の口がきけるようになった
奇跡だと皆にふれまわる。

みんな〜〜彼が口をきけるようになったのよ!!

その後に院長は、
若い男性には、
これからは、ただ、シスターたちの相手をすることだけを
と指示するのである。
めでたし、めだたし。。

なんと楽しい結末ではないか。

私は、本の方を最後まで読みたいと思った。







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大統領の料理人
JUGEMテーマ:洋画
フランス エリゼ宮殿で
女性として初めて大統領専属のシェフになった
オルタンスラボリ。
二年間の仕事の中で見つけたもの。
そして、その後に
彼女がたどり着いた職場は、南極大陸だった。
話は、その二つの場面を行ったり来たりしながら、進んでいく。
 
作り方を他人に聞かせるように喋りながら
料理を作るのが癖というオルタンスの台詞を通して、
素人の私にさえも
何倍にも料理が魅力的に見えてくる。
そう。。
何とも言えない美味しさが伝わってくる。

オルタンスは大統領と、話をするうちに
彼のお気に入りの料理本を教えてもらう。
それは、文学的な要素をもった味わい深い文章で
料理を紹介してくる本だった。
彼らの中では、料理は、芸術なのだ。

と、まあ〜大統領との関係が良くても
そこは、組織化された場所であり、
同僚シェフの嫌がらせ等、どこにでもある要素はたっぷりある。

だが、何故、彼女は、辞表を出して、
南極大陸の職場に行ったのか。

この映画の中で、
大統領の言葉として、
「逆境」にあっていて、その逆境があるから頑張れる
そして、オルタンスの
南極大陸での一年間の孤独が
自分を強くしてくれたというところが印象に残る。

オルタンスは、最後に希望の第二ラウンドの人生を
テレビ局の女性に伝えるところで終わっているが、
物語自身、あっけないと思った。
途中、早送りしたい場面が何度もあったのにだ。

でも、逆に、私は、この映画に何かを期待しすぎたのかもしれない。




 
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チキンとプラム〜あるバイオリン弾き 最後の夢
天才芸術家ナセルアリが、妻にバイオリンを壊された。
そして、かわりのバイオリンを捜し求めるが、
結局、それのかわりの音を出せるバイオリンは見つからなかった。
人生に求めるものが無くなったと、
彼は死ぬ決意をする。
ベッドで横たわり8日間生きた中で
そのバイオリンの音色が
どれほどまでに大切なものだったか
彼の回想シーンとともに解けてゆく。

コミカルなアニメやコミカルなシーンで話は進んでいくのだけど、
心にず〜んと切なく響いたファンタスティックな映画

たかが楽器〜
妻のその言葉に マチュー・アマルリック扮するナセル・アリは、激怒した。
芸術家とそうでないものの感性。

彼にとっては、バイオリンを奏でるたびに
失われた思いが、そこで甦るのだ。
若い頃、ナセル・アリは
イラーヌと言う女性に恋をした。
お互いに結婚したいと思ったが、
彼女の父親の反対に会い、
愛するがゆえに別れることになった。
しかし、彼は言う。

別れても「決して忘れない」

よくある台詞とシーンだけれど、
この映画のナセルアリの言葉は、私の心に響く。
何故なら、その最初で最後の恋が彼の人生そのもの。
人生の「完!」なのだ。

バイオリンにすべてを封じ込め
そして、バイオリンを奏でるごとで、
決して忘れないイラーヌへの思いは復活し、
彼の感情、彼の命が甦っていく。
実ることなく終わった恋は、永遠のバイオリンの音色となったのだ。
ポロンと一つ音がするたびに、
切ないあの日が甦る。

芸術家が死ぬことにした。
その思いは、とても心にグサッときて、
尾を引いてしまった。
切なかった。
もう一度、DVDを見返してしまった。
あのイラーヌに遭いたくて。
それは、ナセルアリの思いに同化して。



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大脱走〜The Great Escape
振り返れば
「幸せだった」
脱走し、捕まり、それだけの人生だったけれど
限られた時間と持てるものの中で
あれこれ脱走計画の中で指揮をしながら
仲間と共に生きてきた時間。
それは、結局「幸せな人生」だったと
丘の上でそうつぶやくビッグXことロジャー

悲しみの中で唯一救われた場面だった。

物語は、実話である。
ほとんど忠実に再現されていると字幕で紹介されて始まった。
ナチス収容所に捕虜でつかまった兵士の
脱走物語。
若かった頃の懐かしい名優の顔がたくさんで、
それだけでもお宝の映画のように思える。
スティーブマックイーンの映画は、
パピヨンとタワーリングインフェルノしかしらないが、
この映画でのシーン。
緑の草原に
颯爽とかっとばすバイクの彼は、
金色の髪の毛と透き通ったブルーの目で、何よりも美しかった。

ちょっと気弱なチャールズブロンソン。
男臭いマンダムの化粧品のCMからは、想像もつかない役柄。
そして、ジェームスコバーン
いつもの
彼のあの不敵な笑い顔をそっと思い出す。

捕虜として、
意味なく、心を無くして生きるより、
捕まって死んでしまうリスクがあっても、
一筋の明かり〜自由を求めて脱走をする生き方を選ぶ彼ら。
力を合わせて、
脱走の準備をはかる中で
友情が芽生える。
自分の命と引き換えに
友を助けるという思いには、なんらよこしまな思いはない。
苦労をともにするということは、
こういうことなのか。
目が見えなくなった友が足手まといになろうと
自分がその目になるといって脱出させたジェームスガーナー
ビッグXの素性がわかり捕まりそうになったとき、
自分の命と引き換えに助けたデビットマッカラム
すべてが美しい友情だ。

脱走出来たもの。
収容所にかえされたもの。
そして、50人の彼ら。
その彼らの中にロジャーもいた。
収容所に返されると思いきや、
丘の上での悲劇。

幸せだった。とつぶやくロジャー。
このシーンは、映画監督の演出であったのか。
それでも、本当にそんな事実があってほしいと願った。
ゲシュタポに捕まり銃撃された50人。
最後のテロップに
この映画を50人に捧ぐと流れたが、
私もその50人の命のほこりを思った。


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