映画を語ろう。
愛を語ろう。
雨の日は会えない 晴れた日は君を想う〜Demolition

JUGEMテーマ:洋画

 

映画のラスト近くのシーンで、主人公が見つけた付箋。

そこに書かれてあった言葉が、この映画の邦題だ。

誰がこの邦題をつけたのだろう。感性に響くタイトルだと思った。

 

Demolition (解体、破壊)という原題は、実際に主人公が、

道具を持ちその行為を繰り返してゆくことにスポットを当てたのだろう。

その行為なくして、

彼が生きる上での再生はなかったのだから、その通り、正しい。

 

 

映画「フォローミー」 これもイギリスとアメリカではタイトルが違った。

イギリスでは「フォローミー」 アメリカでは「パブリックアイ」

映画を見れば、断然フォローミーだと思うだろう。

 

アメリカってつくづく合理的だと思うが、

訴えたい思いは、人間の心の奥深きところ。

 

この映画には、それがあった。

 

説明的な作品ではなく、受け手が心で感じてみる作品。

 

ジェイク・ギレンホールの何気ない一つ一つの演技が

正直に素直に最後に意味もわからないほど、心に押し寄せ、泣けてたまらなかった。

 

 

金融機関に勤めるデイヴィスは、毎日忙しく、妻の話も上の空。

冷蔵庫が壊れているの。水漏れがあるの。

彼女は、諦め顔で彼に訴える。

たぶんきっと、耳を貸さないんだろうな。

 

そんな会話中、突然 交通事故により妻が亡くなった。

 

運ばれた病院で、彼は自動販売機のチョコを買ったが、

それは出てこず、お客様苦情係りに手紙を書いた。

 

妻が亡くなったのに泣けないんだ。そんな時にチョコレートも出てこない

 

ただ、これだけで済ませることが出来ず、

デイヴィスは、自分の立場や状況をつらつらと書き、送り続け

苦情係のカレンモレノと彼女の子どもクリスと友人関係になった。

 

 

色んなものを壊し続けるデイヴィス。

これでもかというほど、壊すのは何故?

 

人も羨むようなデイヴィスとジュリアの家も破壊していく。

やりすぎだろう?と一瞬思うが、

カレンモレノの家で、彼がふと漏らす言葉を思うと

何ら痛みも悲しみも苦しさも怒りも見つからない家だから破壊するのだと思った。

 

 

また、ゲイであろうクリスとの友情。

うそつきではないからこそ、真正面から向かうからこそ、成立するのだ。

 

デイヴィスが防弾チョッキを着て

銃に興味があってしょうがないクリスに撃たせるシーンがある。

 

到底、常識では考えられない出来事であり行動だけど、

デイヴィスもその恐怖を体験したかったのではないかと思った。

感情の見つからない自分だから。

 

 

自分は妻を愛していなかった。

だから泣けなかったんだ。悲しくなかったんだ

妻の浮気で、もっとそれを肯定してみる。

 

しかし、本当にそうであったか。 デイヴィスは知った。

 

愛はありました ただ、おそろかにしていただけで。

 

この言葉にたどり着くまで、彼は心の扉を破壊し続けた。

 

皆、愛していたと気がつかない。

それに向かってだけ生きているわけではないから。

毎日、数々の問題が発生し、頭の中はいっぱいだ。

 

でも、何故、一緒にいるか。でも、何故、あんな思い出があったか。

 

愛していたからだ。 

 

妻ジュリアは、付箋を貼ることが好きな人だった。

こっちを見て、ここなら気づいてくれるかしら? 

ねえ、無関心なデイヴィス。どこでわかってくれる?

そんな愛を込めて、邦題の言葉も貼ったのだ。

 

雨の日には会えない。晴れた日には君を思う

 

 

 

 

 

 

 

 

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アリスのままで〜Still Alice

JUGEMテーマ:洋画

 

若年性アルツハイマー認知症 

それも家族性アルツハイマー病に冒されたアリス

つまり、遺伝性であり、彼女は父親の遺伝子から

そして、彼女の子ども達にもそれは影響し、

検査の結果陽性者一名、陰性者一名

検査を受けぬもの一名。

 

それだけでも家族にとって受け入れがたい悲しみなのに

皮肉にもアリスは、言語学の教授であった。

言葉の専門家が言葉を失うと病気というのは、あまりにも切ない。

 

ジュリアンムーア演じるアリスが、

アルツハイマーの現状をスピーチするシーンがある。

そのスピーチを

この出来事を忘れたくないと最後に語る

その素晴らしいスピーチに感動する。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜

詩人エリザベスビッショプは、

「なくす技」を覚えるのは簡単

多くのものが失われるのは災いではないと書きました。

私は詩人ではなく 若年性アルツハイマー病です。

そして、日々「なくす技」を習得しています

 

方向感覚をなくし、物をなくし 眠りをなくし

そして、記憶をなくしています。

 

私の人生は、記憶に満ちています

記憶は私の最も大切な宝物になりました。

私が人生で蓄えた全てが

努力して得た全てが 剥ぎ取られていくのです。

 

地獄です

 

私が苦しんでいると思わないで。

闘っているのです。

世界の一部であろうとして、

かつてそうであった自分であろうとして

 

だから瞬間を生きています

瞬間を生きること

それが私の出来るすべて

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

アリスの言葉を一つも聞き漏らさないようにと私もメモを取る。

このスピーチが、この映画全てだと思う。

満ちている記憶?

夫とのギリシャ旅行。夫との思い出。

アリスの母と姉との思い出。

子ども達との思い出。 全ての記憶で満ちている宝物

そして、アリス自身にかえった時

言葉を駆使して生きてきた人間にとって、

これはまさに地獄なのだと思うと泣けてくる。

 

アリスがどんどん、アリスでなくなり

滑稽になるのとは対照的な高学歴の夫と長男長女。

最後に寄り添ったのは、自由に自分の道を探し続けていた次女だった。

優しさって、何?

 

ラストシーン

記憶が無くなった果てのアリスに次女リディアが演劇の物語を語り

うつろな目のアリスが、リディアの問いかけに答える。

「愛」「愛についてよ」 

 

記憶を失おうとアリスがアリスのままでなくなろうと

生きているアリス。

最後の最後まで残るのは、愛でしかなく、

リディアとアリスの関係に涙が止まらない。

 

 

 

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アデルの恋の物語〜

JUGEMテーマ:洋画

イザベルアジャーニー という女優がいる

当時、美しさに見とれ、

いつか彼女の映画を見たいと思っていた。

代表作は、言わずと知れた「アデルの恋の物語」

内容もあらすじもわからなかったけれど。

 

今年に入って、何かの調べ物をしている時に

このアデルの物語は、真実であり

ヴィクトリアユーゴーの次女の悲恋で、

33歳になったアデルの

あまりにも無残な恋愛であるとそこには書いてあった。

救いようのない結末。

 

映画のオープニングは、このアデルの物語は、

事実に基づき、全て実在した人物であり

一切のフィクションがないことを伝え、

アデルがカナダのハリファックスに着くシーンから始まった。

彼女がそこに来た目的は、

愛した男ピンソン中尉に会うため。

否、結婚するため。

 

ミス・ルーリーと名乗ったアデルは、

食事つきの下宿を借り、次に町の本屋で、メモ用紙を買う。

束で、いえ、一帖。

一帖 という単位は、一体どのくらい?

紙の小売単位は、帖と言う単位らしく

半紙が20枚で一帖だ。

 

そして、彼女が文章を書くというその行為〜シーンにびっくりした。

普通の人ならば、あそこまで激しく書けない。

何かしらの才能を感じるのは、文豪ユーゴーの娘だから。

その才能故に

とりつかれた様にペンを走らせる。

自分の思い。ピンソンへの思い。狂気。

 

 

 

下宿の夫人との会話で、兄弟の話をする場面がある。

兄弟のいない夫人は、アデルを羨ましいと言うが、

アデルは、一瞬、心の闇をあらわすかのような表情で

夫人のほうが幸せだと答えた。

私には印象深いシーンだ。

 

 

アデルの姉は、19歳の時に溺死した。

その夫も彼女を救うために一緒に亡くなった。

この出来事は、彼女にとって何をもたらしたか?

毎晩、事あるごとに姉の溺れる姿の悪夢を見るのだった。

 

 

とにかく、ピンソン中尉などは、

魅力も何もない。放蕩もので借金男。ペテン師。

それでもアデルは恋をした。

 

うぶな文学少女は、純粋に恋をした。命がけの恋

ストーカーとしかいいようない狂気。

 

うんざりするほどの熱情が、

観る側には耐えられないほどであるが

やがて、それが、哀しい物語に

こちらの気持ちも変わる時がやってくる。

 

アデルが言ってのける「愛は私の宗教」という言葉。

 

彼女の愛の対象は誰でもよかった。

結婚と言う亡霊に彷徨ったのは

33歳未婚女性という

言うに言われない思いも交差したかもしれないが。

 

 

度々のユーゴーからの手紙で

母親の体調の悪さを知っていたアデル。

母の訃報が新聞に載った時

ピンソンが加わる英国軍のバルバドス島へ駐在も新聞に載り

アデルは、母のもとではなく

バルバトスへ向かった。

 

身も心もボロボロになったアデル。

彷徨い歩くアデル。

ピンソンがそばに行き、アデルの名前を呼ぼうと

もう、彼女には、何も見えない。

生きているピンソンと

そうでないアデル。

 

まるで、最後のアデルは、

ユーゴ代表作の「レ・ミゼラブル」のフォンティーヌのよう。

 


 

私は、この作品とアデルの恋の物語と

どちらが先か調べたくらいだった。

 

夢破れて。

 

アデルは、島の人がフランスまで連れて帰り

その後、静かに療養した。

誰よりも長く生きたらしい。

 

イザベルアジャーニーの無垢な美しさと狂気と哀しみ

監督は、彼女をテレビで見て

すぐに決めたらしいが、

彼女以外

他に誰がキャスティングで思いつくだろうと私も思った。

 

哀しく狂気と言えるほどの愛〜

アンナカレーニナのキーナナイトレイも美しかったが

アジャーニーの哀しみは、誰もたどり着けない。

 

 

 

 

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イブサンローラン
JUGEMテーマ:洋画
君は美を愛した、イブ
審美眼や才能はどこから来るのか
誰も教えられない
生まれがどうであれ
天性のものなのだ〜映画の字幕より引用。

この最初の映画の台詞が全てを語っているかのように思う。
イブサンローランと言う人間をそっくりそのまま愛したピエール
人間の愛には色々あるが、
二人の軌跡〜この世の愛の軌跡。

        

イブサンローランは、芸術家であり、
私達凡人の常識の枠で、捉えてはいけない。

ディオールの死後、その主任デザイナーとなったイブ。
成功をおさめ前途洋々であったはずなのに
平等に与えられたフランス国の兵役の中で、
彼は神経の支障をきたす。

彼が、彼の戦場はファッションの中にあると言えば、
臆病者とののしられる場面があるが、
その神経をすり減らす繊細さを誰が知る?
兵役の重みと平等だと言えば、気ちがい扱いか
それともただのろくでなし?
   
        

結局、精神病院の世話になったことで、ディオールは彼を解雇。

納得のいかない恋人ピエールと
ディオール時代の女友達たちとの友情、
そして力を借りて、イブサンローランブランドを立ち上げる。
そのチームワークの良さが素晴らしいと思った。
この世に美しいものがあるとしたら、
「友情」
  
     
 
仕事に没頭するイブ。
彼の天性は、次から次へと人々を魅了していく。
しかし、デザインを生めば生むほど、
彼の心の天秤は、微妙にバランスを崩していく。

そのストレスのはけ口は、何?
誰?誰を愛する?
どんな恋人が良い? どんな悦楽?
薬もOK?
壊れかけそうになると、
ピエールが、優しく全力で守る。
ピエールは、ただ イブそのものを愛している。
罵られても 蔑まれても
イブのかえる場所はピエールのところしかないのだから。


        
    
  
守って守って、ずっと守ってあげる。

ある日のこと、
イブは、何かを見つけた。

            

そして、
最後のファッションショーに
その魅了されたそれがこんな形になって出てきた。
イブが感じた何か。

 追い求めた美は
 魂の美しさ。
 永遠の美しさ。



ピエールが
イブが亡くなった後に
二人で集めたものをオークションにかける時の

台詞は、以下だ。
「多くものはペアであり

君と二人で選び
二人で眺め、二人で愛でた
君がいない今 独りで眺めるのはつらい」


そして、冒頭に書いた台詞が続くのだが、
全編を通して、
芸術家であったイブと
それを支え続けたピエールの渾身の愛。
何が好き?
何を愛してる?ただ、イブの感性そのもの





 
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愛の嵐〜The Night Porter
JUGEMテーマ:洋画
原題は、The night porter つまり夜の給仕であり、
主人公マックスの生き方の象徴なのだ。
ナチス残党のマックスは、今はホテルのポーターとして生きている。
そこにかつての収容所で弄んだ女性がやってくる。
今は指揮者の妻になっているルチア。



お互いにお互いを気づいた後
彼らの取った行動は、一体なんだったのか?

度々のナチス残党の仲間たちの忠告を聞かず
マックスの口にする言葉は、
「僕は、敢えてドブネズミの人生を選んだ。
夜働くのには、理由がある。
光だよ。
私には光がまぶしいんだ」


 自分の生活を脅かすルチアの存在に
 何故、現れた!と責めるマックス。
 そして、逃げようとするルチア。
 ホテルの一室で、
 激しくもみ合っているうちに
 彼らは、いつしか
 求めあう。
 どうしてほしい! 口に出して言ってみろ。



彼はルチアを愛していた。
僕の天使。
死んだと思っていたのに
舞い戻った天使。

       
彼女の口封じなどは、出来ない。

一方、そして、忌々しい過去の記憶に
最初は、早く逃げたいと思っていたルチアであったが、
彼女は、指揮者である夫を見送り
マックスのアパートにたどり着く。



ルチアが手にした洋服は、当時を思わせるピンクのワンピース
二人だけの倒錯した思い出が蘇る。



少女は、歪んだ教育の中で、飼いならされたというしかない。
それは愛なのか、愛ではないのか。
マックスは、しきりに愛してると言うが、
ルチアの口からは、
一度も愛しているという言葉は発することはなかった。

条件反射のように
むさぼり合う性の歓びは、
支配するもの、支配されるものの恍惚。

マックスは、心の変化を知った仲間の女性に胸の内を話す場面がある。

 ロマンティックなのね。
 いや、そうじゃないんだ
 聖書の物語なんだ。
 そして、マックスは、
 ルチアへの思いで
 彼がしたことを語りはじめる。
 それは、サロメのお話。




何がほしいと聞かれれば
分からないと答えるだけ
良い時もあれば
悪い時もあるから

     何がほしいと聞かれたら
      小さな幸せでも言っておくわ。

だって、幸せすぎたら
悲しい昔が
恋しくなってしまうから。 ♪

ルチアの踊りと歌を見つめるマックス。
そのルチアのために
マックスのしたことは、
彼女が嫌いだと言っていた男性の首を切ったこと。

これこそ、聖書のサロメのお話。

娘サロメを愛していたヘロデ王は、
祝宴の踊りの褒美に何かほしいものはないか。
何でも与えようと皆の前で話した。
そして、サロメは、母親の意をきいて
洗礼者ヨハネの首をほしいものと答え
王は、その通りにしたと言う話しである。

マックスとルチア。
二人の求める先には、何があるのか。
 ルチアは、
 失踪した形で夫からの捜索願が出て
 マックスは仲間からの追放。
 どうにも逃げることも
 出来なくなった二人が
 起こした行動は、
 当時を思い出す装いでの出発だった。
 マックスのナチスの軍服
 ルチアの少女の頃のピンクの洋服に
 そして、ハイソックス。
 彼らの時は、止まっていた。
 何年過ぎていても止まっていた。 
 止めることのできない性。
 誰もわかりっこない思い。
 小さな幸せ。

 マックス役は、あの「ベニスに死す」で、
 少年の美しさに惹かれ焦がれた老教授役のダークボガード。
 最初は分からなかったが、
 見ているうちに同じような感覚を感じた。
 
 ルチア役のシャーロットランプリングは、
 いつ見ても涼やかなあの目が魅力的であり、
 今回は、少女役も全く違和感もなく
 淑女になったり、理性を失った女性になったり、
 一つの映画の中で、たくさんの顔を見せてくれた。

  





 
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黄金の七人
JUGEMテーマ:洋画
  15年ほど前に
イカした映画という私のHPの映画のコンテンツの中で
映画好きのデュランさんが紹介してくれた。
それから、この映画のことは、忘れることなく。
チャンスは、突然やってきて、
ケーブルで見ることになった。

とてもおしゃれで、粋で、
そうかといって、すごくスマートすぎず
泥棒たちがカッコよすぎないのもいい。
どこか抜けているような
全てアルファベットAで名前の始まる仲間。

彼らが狙う金塊を金庫から盗む方法も
コミック並みで、
まるでルパン三世の世界のよう。
金塊をベルトコンベアーで運ぶ作業も
可笑しくなりそうなちゃちいものだけど、
いちいち細かいことなど、気にせずにその世界に浸りきれる。

なので、仲間同士の
裏切り、その裏切り、またその裏切りも
皆まとめて、最後の大どんでん返しになって、
どこまで楽しく落ちをつけてくれたの?と
思わず、笑顔になりそうだ。

そして、とにかく
教授と呼ばれるボスの愛人役のジョルジャ(ロッサナ・ボデスタ)の
素晴らしさ!
完璧な美しさで
峰不二子そのものじゃないかと思うほどであった。
彼女を見れただけでも
本当に良かった思う。

以下は、当時、デュランさんの映画批評。
HPのムービー過去ログより。

「黄金の七人」

やっぱり、イタリア映画には
『かなわない』ものがあるっという事を十分に知らしめた作品。
『続・・・/レインボー作戦』も(・∀・)イイ!

「ルパン三世」の冴えは、
この作品の持ってる要素を元にしているからでしょう、って感じです。
 
教授とよばれるボス&
『不二子さんのモデル』ジョルジャ(ロッサナ・ボデスタ)さん含む
7人の各国の泥棒さんたちの大活躍??(9 ̄^ ̄)9??

 銀行から「大金強奪」や、
独裁者の「金塊横領」とかもうちょっとでゲトできそうなんですが・・・・。
ってところでうまくいかないのが、(≧ω≦)bで、
笑える作品なんですが、
これくらい「おしゃれな雰囲気をもった」「イカシタ」映画もないかと。

ジョルジャさんは、
かなり時間がたってもピチカートの野村さんや、
その他おしゃれなキャラがこぞって真似してるあたりも、
そのファッションセンスのよさが光ってると、一押しです。
音楽も(・∀・)イイ!
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アンナカレーニナ
JUGEMテーマ:洋画
  トルストイの名作「アンナカレーニナ」の映画化。
美しい人妻の不倫の話しだけで終わるならば、
なんと、陳腐な物語ではないか。

しかし、それに対比させるかのようなリョーヴィンの生き方が
悲劇の中に救いをもらたしてくれた。

アンナカレーニナ役は、キーナナイトレイ。
彼女の映画は、
「つぐない」「プライドと偏見」では、どちらも美しい限りだったが、
「わたしを離さないで」の頃から、
顎のあたりの長さや骨っぽいのが、私には気にかかる。
ただ、目もとのアップだけなら、
相当美しく、見てるだけで幸せになれそうだ。

そして、不倫相手のアレクセイ役はアーロンテイラージョンソン。

アンナが惹かれるほどの魅力であったか?
最初に出会うシーンでも
まさか?という感をぬぐえなかった。

アンナの夫であるアレクセイカレーニン伯爵役は、ジュ―ドロウ
若き日のプレイボーイの様相は消え、
すっかり、おとなしく何でも許してくれる夫になりきっていた。

アンナとすれば
あまりにも物わかりのいい口の聞き方の夫に
不満もあるだろうし、イライラも募りそうだ。

兄の浮気で傷ついた兄嫁を見舞いに行った先で
出会ってしまったアンナと将校アレクセイ。

不倫などと真っ向から否定していたものが、
誰よりも情熱的に突っ走る
そう、破滅に向かって生きるアンナとなってしまった。

それにしても
不倫の二人に
少しも同情の余地もないような映画の作りだったが
実際、原作はどうであったかと私は首を傾げた。

夫であるアレクセイは、
将校アレクセイと一緒に生きたいという
わがままなアンナの願いに
それを許しても、
許さなくても罪になるのなら、
少しでも軽い罪を選ぶとして、
聖書のごとく
手厚い施しをもって、
裏切りのアンナをアレクセイの元に向かわせた。
汝の敵を愛せ。

アンナという罪。
夫アレクセイという赦し。

そして、リョーヴィンとキティの生き方。
彼らは、生きていくことに何が大切であるか、
広大な土地の領主として
農民と共に魂で生きる姿がすがすがしい。
特にキティの慈愛に満ちた行動。
リョービンも彼女の愛によって、偏見を解き放った。

リョーヴィンとキティという善。

トルストイは、人間のそんなものを原作で描きたかったのでは?
と観終わった後に思ったのである。




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エルスール〜EL SUR
JUGEMテーマ:洋画
 
一日中、母親と一緒にいながら、母親の存在は希薄であり
反対に父親は、頼もしく憧れの存在だった。
そんな少女エストレーリャの語りによって、
物語は始まっていき、それは最後まで続くが、
難解でもなく、とても心地よい語りだ。

しかし、少女は、憧れの父親の何を知っていたのか。
そして、父親も、
少女が成長していく中で、
どれだけ自分が見つめられていたかわかっていたのか。

少女の言葉を借りるなら、彼女は、時には父親の共犯者にもなった。

これは、「みつばちのささやき」の監督の作品らしいが、
ミツバチのアナの無垢さから
もう少しだけ大人になった少女と父親の親子関係に
私は、浸り、何とも言えない余韻を感じ取った。

生まれて初めての異性である父親は、
特別な素敵な人間。

映画の冒頭、
暗い真っ黒な画面から
少しずつ光が入っていき、
ベッドに横たわる少女に聞こえてくるのは、
父親アグスティンが、昨夜から行方不明になったことを知らす
使用人と母親の声とそして犬の鳴き声

そして、彼女の枕元にあったのは、
父親の振り子。
この振り子を使って
父親は、母親のおなかにいた頃の少女を
女の子だと言い当て、名前までつけ
もう、そこからエストレーリャとアグスティンの親子関係が出来上がっていた。

エストレーリャは、振り子の使い方を教えてもらったり
一緒に魔法のようなことをしてみたり、
二人にしかわからない絆がそこにあった。
だが、それを置いて、
家を出たと知った彼女は、
もう、父親は家に帰ることはないと悟った。

父親に何があった?
そして、父親はそれにどう対処した?

エルスール〜これは、つまり、南 
父親は南の地域に住んでいて、
その過去には、祖父との確執や政治的な要素もあり
それを捨てて北部地方にやってきたのだ。

そして、女性関係も絡んできて、
母親との関係もぎくしゃくし
家族が重苦しい生き方しかできなくなった時、
エストレーリャは、抵抗を試みる時がある。
ベッドの下に隠れて、家族に心配してもらうこと。
なんとか状況を打破したかったのだ。

しかし、そのベッドの下に隠れた沈黙に対して
父親は、少女を探し見つけると言う行為をせず
その居場所にいながら、
沈黙という行為で答えた時、彼女は涙した。

それを母親は何故に泣いているの?と問いただすが、
ただ「悲しいからよ」という気持ちは、
映画を見ていて充分伝わりすぎるくらい伝わりすぎた。

エストレーリャの悲しみも言葉にならないくらい沈黙であり
そして、父親の抱えている悲しみ、悩みも
それ以上に沈黙でしか応えることのできないくらいつらかったのだと。


ラスト近くのホテルでみたダンスシーン。
エストレーリャの初聖体拝領の時に
二人で、踊った喜びの音楽が、物悲しく過去の幸せを思い起こす。
そこでも父親と少女との想いは、
互いにうまくかみ合っていかない。
どれだけ理解できていたの?
家族って、本当はわからない存在?
振り返ってみればと、残されたものは、それを問う。

結局、父の死後、
エストレーリャは、エルスール、南へ向かう。
父の過去を知りたくて、なんだかわくわくしながらのエルスール。

色んな場面場面で
父親と少女の関わり合いが、
女の子なら痛いほどわかるんじゃないか。
また、父親という立場の人も痛いほどわかるんじゃないか。
そんな優しく美しい映画でした。



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イングリッシュペイシェント〜The English Patient
JUGEMテーマ:洋画

看護婦ハナが、
イングリッシュペイシェントの横で
ヘロドトスの「歴史」を読み始めた。

  “王は妃がこの世で一番美しい女であることをー
人々の目の前で証明しようとした。

お前は、寝室に姿を隠せ
カンダレス王は言った”


カンダレアス 

イングリッシュペイシェントが、
ハナの読み違いを訂正する。


カンダレアス? 

ハナがそう、言い直しをすると
映画のシーンは、
追憶のシーンに変わっていく。
それは、イングリッシュペイシェントと
キャサリンの出会い。
決定的な出会いの中で、
キャサリンが語るヘロドトスの「歴史」
物語は、キャサリンの口を通してつながれた



カンダレアスは、ガイジスにこう言ったー

“妃は、毎晩脱いだ服を扉の脇のイスにかける。
“お前の立ってる場所から妃の姿が見えるはずだ。

その夜も王の話した通り、
妃は、イスの横で服を脱ぎ始めて
一糸まとわぬ姿をガイジスにさらした。

想像を超えた美しさだった。

その時、妃はふと目を上げー
隠れているガイジスを見た。

妃は無言で、体を震わせた。

その翌日ー
妃は、ガイジスに事の次第を問いただした。
そして、こう言った。

私の裸身を見た罪で、死を選ぶか
私を辱めた夫たる王を殺して
自分が王座につくか。

ガイジスは、王を殺し
妃を妻にしてリディアの王となった。


〜すべてがここから始まる物語。

まるで、妃がキャサリンで
カンダレアス王がキャサリンの夫クリフトンで、
ガイジスがアルマシー(イングリッシュペイシェント)
のようなことのなりゆきなのだ。


一体、この映画の何から語ろうか。

イングリッシュペイシェントの事を
とても愛しいと思うのは、何故なんだ。

クリフトンの妻キャサリンとアルマシ―の
愛の行為の中で、

キャサリンが一番嫌いな事は「嘘」だと言えば
アルマシ―は、「所有し、所有されること」と答える。

しかし、キャサリンは、夫に嘘をつきながら
アルマシ―を愛し、
アルマシ―は、所有し、所有されることが嫌っても
キャサリンののどのくぼみを
アルマシ―のボスポラス海峡と言って、
自分のものだと愛を語る。

そして、アルマシーが君の一番幸せな時間は?と聞けば
「今よ。」
一番不幸せな時間は?の問いにも
「それも今ね」と答えるキャサリン。

そんな言葉がすぅ〜と私の中に入っていく。
それは偽りのない思いだから。

160分間あまりの時間は、とても短く
中だるみもないし、
もう少し、私もハナと一緒に
イングリシュペイシェントのそばにいたかった。
そして、キャサリンとアルマシ―の
愛の思い出をいっぱい聞きたかった。

けれど、机の上に置いてあったすべての
モルヒネを倒し、
安楽死を求めたイングリッシュペイシェント
それを受け入れた悲しみのハナ。

看護師ハナは、
愛する大切な人を戦争ですべて亡くし、
このイングリッシュペイシェントの看護に
必要とされる愛の対象を見つけ、生きてきた。
ハナの明るさは、どんなに皆を救ってくれたのだろう。

他にもいっぱい、
それぞれの出演者が魅力的だ。
語りつくせない。
大好きな映画。

そして、戸田奈津子さんの感性豊かな名訳によって
楽しめたことも素晴らしい事実でした。









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俺たちに明日はない〜Bonnie and Clyde
 この映画は、小学5年生の時にテレビで観た。
その時の衝撃は、かなりのもので、それから私は、映画の世界にのめりこんだ。
つまり、私の原点の映画である。

今年、トーホー系列で、新・午前10時の映画祭として
スクリーンで上映されることを知ってから、待ちに待ち、
今日、再びこの映画を観た。

ラストのあのシーンを見たいがために
ボニーとクライドのピリオドを見たがために

泣けてしょうがなかった。
どうして、皆 そそくさと席を立てるものかと思った。
余韻が、立たせてくれない。
二人の死は、そのくらい
また違った意味で、衝撃だった。
美しかった。

彼らの改心は、この世で生きるためには、間に合わなかった。


この映画は、単なる犯罪映画と言えば、そこまで。
実話を基のした銀行強盗の物語である。
不況下の中、
生きることに悶々としている二人が、
何かを追い求め続けて、うっぷんを何処かに求め
仲良くなり、犯罪に手を染めていく。


ボニーとクライドが、
職業を「銀行強盗」と言ってのけるあたりに
やり場のない思いに
共感するものもいるのではないか。

そして、同じような世の中の弱者に対しては、
心寄り添い、
銀行強盗しても、彼らのお金にだけは手をつけない。

彼らは、ワルはワルでも 非道なワルじゃない。
しかし、運悪く、強盗だけでなく 殺人を犯すことになってから
彼らの運命は、定まった。

逃げても逃げても逃げ切れない。
ワルの人生の最後は、決まっている。
逃げて、最後には捕まる。
いつかは、捕まる日がやってくるのだ。

子ども時代に見えてこなかったものが
今日は、いろいろと見えて、
「俺たちに明日はない」という邦題も素晴らしいが、
ボニーとクライドという原題の通り、
ボニーとクライドの人生をすっかり表してくれた。

愛もあり、悲しみもあり、すべてがそこにある。
彼らは、最後に愛し合った。分かり合えた。
希望の光を見つけた。

この世に生まれ、愛し合える人が最後に見つかったことは、
最高の神様からの贈り物。

犯罪者でありながら、
ボニーが新聞社に送った二人の物語。
それは記事になり、世間は二人の存在を知ってくれた。
二人は、この世を生き抜いた。

「おしまい!」
「完」


しかし、罪は罪。
この世で許されないことをした彼らには罰が下るべきなのだ。


ラストのあの撃たれ続け、全身、蜂の巣のようになるシーンの前に
ゆっくりと顔見合わせたシーンが、
「ボニーとクライド」を物語る。

あ〜よかった。殺される前に、二人思いを一緒にあの世に行けたと思った。

その後に
余計なことは何も語らないラストシーン。
ただ、それが
彼らの物語

ENDのラストシーン



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